ナルシス2世のブログ

エッセイ仕立てに構成。
第一章では高校生時代の入院記を
第二章では高校を卒業してからの職歴と、その中で出会った素晴らしい先輩方とのご縁や学び、エッセイを書く事になった経緯を記録した内容。

其の5 念願のショットバー

そんな恵まれた環境の中、ママの元で一年ほど勤めた頃、やはりバーテンダーになってお酒を作りたいと、腹の内をママに話した。するとママは、ショットバーの仕事を快く紹介してくれ、そして応援してくれた。

当時ママは雇われママで、スナックにはオーナーが別にいた。現場に出ていないが、大柄で優しく、面倒見のよい男だった。人望も厚く、顔も広い彼には、ショットバーを経営しているお兄さんがおり、ママの口利きで俺はそのショットバーで雇ってもらえる事になったのである。

 人は足りていたので、無理矢理にネジ込んでもらった状態だった。ママもスナックのオーナーも、紹介だからと言って特別扱いはしないで欲しいと、お兄さんとそのショットバーの店長に伝えていたそうだ。逆に辞めたいと思うくらい厳しくして、その指導で根をあげるようなら容赦なく切り捨てて欲しいと言っていてくれたのだった。後日談なので、この事実を知ったのはかなり先になってからである。

 

念願のショットバーはミナミの街を見下ろす立地。高層ビル7階にある、大人な雰囲気のオーセンティックバー。

※オーセンティックバー

伝統的なバーの意。伝統的なバーと言えば一枚板の木のカウンターがメインにあり、内装も外装も重厚な感じ、ほの暗いカウンターの中には、落ちついた雰囲気のあるバーテンダーが立っている。

 

7階でエレベーターの扉が開くと、そこは非日常的空間が広がる。そう、エレベーターの扉が開けば、もうお店の中なのだ。店内中央には大きな水槽があり、ブラックチップシャークという小型のサメが泳いでいる。BGMはジャズが流れ、暗めの照明、ガラス張りの店内からはミナミの夜景を見下ろせる。

客層も様々で、芸能関係者・北新地やミナミの一流クラブのホステス・組関係者・会社経営者・スポーツ選手も来るようなお店だった。

このショットバーで、人生において大きく影響を受ける事になる人物と出会う。最初は大嫌いだった、そのバーの店長だ。軟弱で甘ったれだった俺は、彼の指導で精神的に追詰められ、胃痛や嘔吐で苦しんだ日々もあった。そんな彼とも、敬意をもったお付き合いは続いている。

 年齢は7つ上の男性。三国志演義に登場する軍師【諸葛亮孔明】のような策士家である。(以後、孔明店長)売上を上げる為の戦略を数多く持ち、実践しながら結果を出し続けていた。見た目は洗練された都会の男前で、大人の色気をプンプン感じた。更に優れた技術をもつバーテンダーでもあり、接客サービス・お酒の知識においても抜け目はなかった。

孔明店長は師匠とは全く異なる接客サービスをする。派手な演出や接客はしないが、付かず離れずの絶妙な距離感を保ち、来店するお客さんを心地良くさせていた。一見、神業にも見える接客術であるが、お客さんのニーズを先読みし、計算された行動や話術が見事に組み込まれている。彼から学んだ多くの事を、俺が経験したエピソードと共に、彼の接客術の根源を垣間見て欲しい。

其の4 ミナミのスナック

それでも、負けない!言葉の通じないアメリカへ行かないのなら、大阪ミナミで有名になってやる!そんな時、アルバイト雑誌で【バーテンダー見習い募集】の広告を目にする。

大阪心斎橋(ミナミ)、晴れて都会デビューを飾るにふさわしい場所だ。速攻で電話をし、面接を受けに行った。

お店に入ると美しい女性が1人。彼女は面接担当ではなかった。少し待つようにと言って、電話を手に取り、担当に連絡をする。待っている間、お店をジロジロ見回した。カウンターには酒屋や本で見たリキュールや、バー器具が並んでいる。

これから俺は華々しく、この美しい女性と共にミナミデビューを飾れる。俺の再スタートにはピッタリの店だと、面接すら受けていないのに強くイメージした。しばらくして、面接担当が到着する。その人もまた美しい女性だった。俺のテンションは緊張を吹っ飛ばし、興奮状態になるが、面接は実にあっけなかった。

 

担当 『履歴書ある?』

俺   『はい』(履歴書を渡す)

担当 『色々やってるね。で、お酒飲める?』

俺   『はい。弱いですが多少は・・』

担当 『飲めるって事ね。いつから来れる?』

俺   『いつからでも大丈夫です』

担当 『ほな、来週からおいで。』

    『通う?こっちで借りる?』

    『借りるんやったら、不動産屋さん紹介するよ』

俺   『ありがとうございます!借ります!』

 

見事に採用&新生活もスタートだ。翌週から働き始めたのだが、初日に間違ったと感じた。

そう、ショットバーではなく、スナックだったのだ。面接時は自分に都合の良い景色ばかり映っていた。あっけなく終わったと感じていた面接だが、恐らく【ショットバーではない】という説明もあったはずだ。美人なお姉さんと働ける事が脳を支配し、興奮状態になっていた俺の記憶には残っていないが。

よく店内を見ると、カラオケ用のモニターやマイク、ボトルキープされたお酒が並んでいる。

元々はショットバーの居抜き物件で、お酒や器具もそのまま譲り受けたお店の為、ショットバーにも見えたのだ。夢のような華々しいミナミデビュー・・・なんて世の中そんなに甘くはない。カウンターでの接客なんて初めて。つくるお酒は水割り。お客さんは2人の美しい女性に会いに来ている。しかも彼女達は、北新地でホステスをしていたベテランだった。接客も歌も抜群に上手く、酒も強い。面接をしてくれた人がママなのだが、知的なトークもすれば、バカになって下ネタでも盛り上げる。田舎者には刺激の強すぎる世界で、毎日がパニックだった。

お店が終われば、ママはほぼ毎日食事&呑みに連れていってくれた。ものの言い方は、ストレートでドギツイ。よく言われたのは【ショボイ】【キモイ】【ウザい】である。ナルシストとしての俺のプライドはズタズタに引裂かれる日々が続く。悔しい思いもたくさんしたが、辞めたいとは考えなかった。

ママはお世辞抜きに妖艶な美しさを放つ女性で、高嶺の花のような存在だった。この人に認めてもらいたいという願望が強く芽生え始めていた。人間としての魅力に惹かれたのだが、若干の下心はあった。こんな気の強い女性に好かれる自分になれば、自身の器が上がるとも思い、必死に喰らいついた。無謀な目標ではあるが、最終的にはママを惚れさせる事を秘かに決める。これは今まで誰にも話した事のない、心の目標だ。

常連さんから『男が女の下でペコペコ働いて悔しくないんか?』と言われた事もあったが、そんな悔しさは一切なかった。それよりも、ママの仕事ぶりは日々肥やしになっていた。たくさんの事を教わる中で、衝撃的だったエピソードの1つを紹介させて頂く。

お店が暇だったある日、静かにカクテルブックを読んでいると、ママはキレながら俺に言った。

 

『お酒なんか、どこで呑んでも同じやねん!』

『そんな時間あるんやったら、キャッチでも行き!』

 

その言葉は、バーテンダーになって美味しいお酒を作れるようになりたいと、勉強・練習をしながら、日々スキルを磨いている俺を全否定するものだった。言われた時はショックで言葉が出てこないし、理解もできない。あるのは悔しさのみだ。ママが放った言葉の真意を、その時は気付く事が出来なかった。

 

『ふざけるな、必ずママを俺の作るお酒でうならせたる』

 

当時はそう思っていた。後にママの元を離れ、色々な飲食店で経験を積んでいくうちに、真意を理解する事となる。ママが伝えてくれようとしていたのは『おもてなしの心・人間力』だったのだ。

俺が自身のスキルアップしか考えていなかった事に、ママは気付いていたのだ。どんなに美味しいお酒を作れるようになったとしても、飲んでくれるお客さんがいなければ宝の持ち腐れである。飲んでくれるお客さんがいたとしても、そんな自己満足で作られたお酒を美味しいと感じてもらえるだろうか?お客さんはバカではない。遅かれ早かれ必ず気付くのだ。十人十色、お客さんによって様々な好みがあり、そのお客さんの事を考えて作る事ができなければ、バーテンダーとしても失格である。

美味しいカクテルを作れる事は『おもてなし』の手段の1つであり、全てではないと言う事を教えてくれていたのだ。【どこで呑んでも同じ】だからこそ、誰がどんな気持ちで作ったお酒なのかが重要なのである。つまりは人間力だ。もちろん、ある程度の基本的スキルは必要であるが、経験を重ねればスキルアップは可能になる。しかし、おもてなしの心は意識しなければ身にはつかない。おもてなしの心がなければ、人間力は生まれない。掘り下げて考えれば、ママの教えの深さが理解できる。

今現在もミナミでお店をされているが、実に素晴らしいお店である。あれから15年が経ち、俺もそれなりに場数を踏んで追いついた気になっていたが、まだまだママは高嶺の花だ。出会い、学ばせて頂いた事に感謝しかない。俺の心の目標も達成していない。

 

当時はママの教えを理解できず、美味しいカクテルを作る事しか頭になかった。そんな俺を見かねてか、バー巡りも一緒にしてくれた。ママのお店と同じビル内に炉端割烹のお店が入っていたのだが、バーも系列店として同ビル内にあった。そこで俺は、初めて師匠と言うべき男に出会う。3つ年上の男で、かなりのイケメン。トークも最高に上手いのでカウンターには、可愛い&綺麗な女性で毎日いっぱいだった。俺が追い求めた世界を実現している人だった。俺は彼の事を今現在も【師匠】と呼び、崇拝している。

師匠は、ただチャライだけのイケメンではない。炉端割烹の勤務を終えた後、バーに入ってバーテンダーとなるというハードワークをこなしながら、テンポの良いトークと美味しいお酒で店内を盛り上げるのだ。この師匠との出会いは、ママに雇ってもらっていなければ、なかった縁である。ママのはからいもあって師匠には、とても可愛がって頂いた。悪い遊びもたくさん教えて頂いたので、バーテンダーの師匠と言うよりも、人生の師匠と表現した方が正しいかもしれない。

其の三 キャバクラのボーイ

大阪の実家に戻った俺は、将来の事を再構築し始める。今の自分が一番興味あって、楽しい事は何かを考えていた。

『液体の宝石リキュール』・・・これを扱う華のある仕事はバーテンダーしかない!アメリカへいってバーテンダーの修行をしよう。トム・クルーズ主演映画『カクテル』の主人公のようなバーテンダーになって、自分のお店を持って、たくさんの美女にモテまくる!これが俺の新たな夢になった。馬鹿らしいほど単純な発想であったが、ワクワクが止まらなかった。

夢を実現させる為には、英会話力とアメリカで生活する為の資金がいる。短期間で過去につくった借金を返し、資金を貯める方法を考えた。

求人雑誌を購入し、高収入バイトを探してみるとホストクラブがブッチギリだった。【基本給+歩合】とも書いてあり、【頑張り次第では・・・】なんてコメントを見て、即効で応募した。ナルシストを自負するほど、自分のルックスと内面に根拠のない自信を持っていたので、張り切って面接を受けにいったのだ。その場で翌日からの採用を頂いたものの、採用された事に満足し、帰宅途中に意味不明の断り連絡を入れた。初めての夜の世界にビビっていたのもあるのだが、何かがホストクラブへの道を阻んだ。

気を取り直し、次の高収入バイトである【キャバクラのボーイ】の面接を受け、即採用を頂いた。今度はビビっている場合ではない。夢の為にはお金がいる。見た目は華やかな世界だが、とても神経を使う仕事だった。

 基本的には男性客を対象に、美しくセクシーに着飾った女性達(ホステス)が、お酒や会話で場を盛上げて接客をするお店である。お店によって提供している酒類は違うが、当時はウイスキーやブランデーが主流で、飲み方も日本人特有の水割りが多かった。

ボーイの仕事は黒子に近い仕事だ。ホステス達の接客を邪魔しないように存在感を出し過ぎず、そしてスムーズに仕事ができるように、常に緊張感をもってテーブルを見ておかなくてはならない。仕事内容の一つに、水割りで使う氷やミネラルウォーター、灰皿の交換がある。タバコやガム等を近くのコンビ二までパシったりもする。

ホステス達はお客さんとトークしながら、氷やミネラルウォーターが少なくなると、お客さんに気付かれないように決められたサインをボーイに出す。(お店によってやり方に違いはある)これは、せっかく盛り上がった会話を止める事なく、足りなくなったモノを補充したり、いらなくなったモノをさげて、気持ち良く時間を過ごしてもらえる空間をつくる為である。だから、俺達ボーイはホステスのサインを決して見逃してはならない。

 慣れてくると、ホステスがサインを出す前に交換できるようになる。そうするとホステスも仕事がしやすくなり、ホステスに認められる。認められれば、そのホステスのお客さんに紹介してもらえる事があった。お客さんにも認めてもらえれば、仕事のやりがいも増す。

紹介される時に気を付けていた事は、できるだけ長居しない事。お客さんは俺と話をしに来ているのではなく、ホステスとの会話、お酒を時間制で楽しみに来てくれているのである。お気に入りのホステスに紹介されて、仕方なく話しかけてくれている可能性もあるのだ。だから手短に聞かれた事だけをハッキリ答え、会話しながらもテーブルの状況を確認しておくのである。そして、去り際に仕事を一つでも見つけて自分との会話を切りやすくする。

それ以外にも、お客さんの顔とタバコの銘柄を確実に覚えておけば、次回ご来店時にタバコを頼まれれば、銘柄を確認する事なく、即座にパシれるのだ。タバコに限らず、よくテーブルを見ると色々な事に気付く。自分がお客さんだったら【何をして欲しくて、何をして欲しくないか】なのだ。お客さんを酔っ払いだとナメてかかると、大変な事になるし、失礼極まりない。覚えていないお客さんもいるが、酔っていても記憶が残っているお客さんもいるのだ。色々なパターンがあるので、絶対はなかった。

失敗もたくさんした。最初はミスをするたびに、上司に殴られた。殴られるのは自衛官当時よくあった事で、上官の拳に比べれば威力は弱い。殴られても、喰らいついて仕事を教わった。仕事ができるようになってくると、上司にもお客さんにも可愛がってもらえた。新しい仕事や、接客のコツ、マナーなど色々教えてもらえるようになっていった。楽しくなってきた頃、キャバクラの仕事を嫌がっていたジイちゃんとバアちゃんに頼まれたので、あっさりと辞めた。



その後、コンビニ・居酒屋のアルバイト、屋台のパスタ屋をしながら、借金の返済を続けていた。夢の実現に向けて、とにかく空いている時間はひたすら働いた。

半年くらい経った頃、以前勤めていたキャバクラから臨時で戻ってこないかとお誘いもあり、週末だけジイちゃんとバアちゃんに内緒で高額収入バイトも復活させていた。この時に出会った上司とは、ご縁があり今もお付き合いをさせて頂いている。

年齢は俺の10歳上の男性。一緒に働いている時は【神】と崇めたほどだ。(以後ゴッド先輩)自分にも厳しいが、部下にも容赦はない。見込みのない人間と判断すれば、あっさり切捨てる冷酷な男である。

ゴッド先輩は頭の回転も速く、人の考える先の先まで考えて動くので、一緒に仕事をしていても最初は指示された内容についていけない。理解できないまま指示通りに仕事をしていると、結果なるほどとなるのだ。ある程度はついていけるようになるが、なかなか難しい。彼は瞬間的判断力もあり、人の使い方が上手だった。司令塔としてゴッド先輩を超える人物には、未だ出会っていない。

更に彼は凄まじいタフさを持っている。酒は強い・女好き・ギャンブル好き・仕事は朝から会社員をしながら、夜もガッツリ働いている。いつ睡眠をとっているのかと思うくらい、仕事も遊びも半端ではない。そんな男ではあるが、認めた相手に対してはムチャクチャ面倒見がいいのだ。俺は有難い事に、よく食事に誘ってもらった。仕事話を熱く語ったり、男同士のバカ話で盛上ったりしながら、多くの事を学んだ。厳し過ぎるとは思うが、彼を心から尊敬し、彼との縁には感謝している。

 

話は戻り・・・

休日にショットバーの面接巡りを始めたのだが、『経験者でなければ』と断られる日々が続いた。雇ってもらえないのに経験なんて積めない。だからと言って、諦める訳にもいかない。この粘り根性は自衛官時代に構築されていたのだと思う。

もがいたあげく、【サントリーバーテンダースクール】をみつける。(現在は存在しない)

早速申し込んだ。数か月の学習期間を終え、修行書を発行してもらう事に成功!これで面接時の強みなると確信した俺だった。再びショットバーの面接巡りを始めるも、惨敗が続く・・・。

優先順位を変え、アメリカへ行って修行しよう!でも英語が話せない。思い切って英会話スクールへ通い始めるが、これは失敗だった。最初は楽勝だったが、カリキュラムが進むにつれて難易度が高くなり、とうとう諦めてしまったのだ。授業料のローン60万が、返済中の借金にのしかかる結果となった。