ナルシス2世のブログ

エッセイ仕立てに構成。
第一章では高校生時代の入院記を
第二章では高校を卒業してからの職歴と、その中で出会った素晴らしい先輩方とのご縁や学び、エッセイを書く事になった経緯を記録した内容。

其のニ 酒屋の店員

自衛隊を退職する前、自身の生き方に迷いを感じ始めていた。出航中ある夜、護衛艦から星を眺めていると、4文字の言葉が頭の中に浮かび上がってきた。それは小学校の卒業アルバムの寄せ書きに、弟マサノリが書いていた【存在理由】の4文字。寄せ書きには『中学校へ行っても仲良くしようね』『これかからもよろしくね』みたいな事が書かれてある。

その中で1人だけ『存在理由』と書いていたマサノリの思考は、小学生当時は理解できなかった。しかし、俺はその言葉によって自分の夢を探し始めたのだ。何をする為に?残す為?成す為に?俺はこの世に生を授かったのか?とにかく考えていても始まらない。行動あるのみ!自衛官を退職後、仕事もせずに興味の湧いたものは手当たり次第に首を突っ込んだ。

貯金はすぐに無くなり、借金が60万程できた。焦って何も考えず、借りていたマンションを解約してしまう。高額出費(家賃)から逃げる為に住む場所をなくし、車で暮らし始める事となった。

1ヶ月程車内生活していたが、色々な事に限界が出てきた。ようやく危機感を持った俺は、同じ時期に自衛隊を辞め、酒屋で働き始めていた同期の男に仕事を紹介してもらう事になった。知らない事だらけのお酒の世界は、とても興味深い仕事だった。後にバーテンダーを目指すきっかけとなった職業でもある。

その頃の俺の生活は、悲惨なものだった。収入は自衛隊の頃からは激減していたが、金銭感覚のずれていた俺は、愚かにも変らない生活をしていた。月末は笑えるくらい苦しかった。しばらくは先輩の部屋に寄生していたが、俺は勤めていた舞鶴の支店から福知山の支店に転属になる。

舞鶴支店もそうだったが、福知山支店の人達もとても親切な人達ばかりだった。住む所も用意してもらい、家賃も少しお店が負担してくれたので、本当に助かった。贅沢を辞めようと、まずは食生活を変えた。住家近くの自動販売機で200円のカロリーメイトと100円のポカリスエットを購入する。カロリーメイトを半分食べて、ポカリを半分飲む。これが俺の朝食。

その後、仕事へと出かける。昼食は抜き、帰宅後に残りの半分を胃袋に入れ、お腹が空かないうちに眠りにつく。これを1ヶ月ほど続けた。

現在のように280円というリーズナブルな価格で牛丼は販売されていなかった。だから当時はこれがベスト節約だった。体重はどんどんおちていき、20キロほど痩せる事ができた。

かなり痔持ちにとっては、致命的な食生活である。食べないので大便もあまり出なかったが、たまにウサギの便の様な丸くて固いのが出るようになっていた。夏場は何ともなかったが、冬場には時々疼く痛みがあり、大便も苦痛だった。コイツ(痔)とは一生のお付き合いになる事を自覚し、受け入れざるをえなかった。二度と手術は受けないと心に誓いつつ・・・

そんな悲惨な生活の中、2つの大きな財産を手に入れ、1つの大切な感情を失う。手に入れた財産の1つは【他人の温かさ】であった。愚かな食生活を続けていた俺に、事務のおばちゃんが、ほぼ毎日弁当を作ってくれた。俺が昼を抜いているのを知り、息子の弁当のついでだと言ってだ。俺の心は温かくなった。他人である俺に、何でそこまでしてくれるのか。意味も分からずに、ご厚意を受けながら過ごした。今でもこの感謝の気持ちは消えていない。

2つ目は【新たなる夢へのきっかけ】を手に入れた事である。毎日お酒に囲まれて働いていると、お酒の弱い俺でも興味は出てくる。ウイスキー、ブランデー、ジン、ウオッカ、テキーラ、ラム、ワイン、日本酒、焼酎、リキュール・・・。特に魅入られたのは様々な味や色があり、『液体の宝石』と呼ばれるリキュール類だった。店に置いてあった『世界の名酒事典』で店頭にあるお酒を調べる事に熱中した。

お客さんとの会話も楽しかった。知らないお酒はお客さんから学び、勉強したお酒の事を聞かれた時は答えられるのが嬉しかった。お客さんに喜んでもらえたり、感謝されたりする事が快感になっていた。平凡ではあるが、毎日が楽しかった。この事が、バーテンダーを目指す事へのきっかけになる。

酒屋で勤めている間、人生初どっぷりハマるほど大好きになった彼女もでき、貧乏ながらも幸せに過ごした。でも、幸せというものは何故か長くは続かない。

車で事故を起こし大怪我をしたり、その彼女と悲劇的な別れをしなくてはならない状況になり、逃げるように大阪へと帰っていった。この事がトラウマとなり、数年間は女性を真剣に愛せなくなる。これが俺の失ってしまった大切な感情だった。

 

俺が愛した彼女は小柄で、笑顔が殺人級に可愛い女の子だった。ハスキーボイスの彼女はお酒が大好きで、少し酔うと抱きしめたくなる程に、無邪気な少女のようになる。俺はそんな彼女が大好きだった。放したくなかった。想いが強くなると、会えない時間が苦痛で気がおかしくなりそうな日もあった。

ある冬の満月の夜、大泣きの彼女から電話があった。とても辛い事があったようで、なかなか泣きやまなかった。彼女が辛いと、俺も辛い。無理に何があったのか聞き出そうとは思わなかったが、彼女の明るい声が聞きたかった。

冬の空の下、寒さに震えながら電話していたのだが、夜空を見上げると美しい満月が輝いていた。とっさに俺は彼女に空を見上げるように伝え、この美しい満月を通して自分たちは繋がっているよ、いつでも俺の心は君の傍にいるよと、力強く言った。そうやって精一杯の気持ちを表現すると、少し落ち着いてくれ、もとの明るい彼女のトーンに戻り、しばらくは何でもない話を続けた。そのエピソードがきっかけかは分からないが、関係も深くなっていく。

しかし、一本の電話を境にその幸せは徐々に崩壊していくのだった。出勤しようとする朝の時間帯に、携帯電話が鳴る。彼女の旦那と名乗る男からだった。信じ難い内容に、一瞬言葉を失う。彼の話は信じたくないと言う気持ち、彼女を疑う気持ちが交錯する中、冷静さを保とうと必死になった。俺は彼を否定せず、結婚していた事は知らなかった、事実であれば申し訳ないでは済まないと伝えた。

彼との電話を終わらせ、その日のお昼休憩の時に、彼女に電話で事実確認をとったのだが、彼女は認めなかった。電話で済む内容ではないので、夜に彼女と会う約束をした。もしかすると、これが彼女と会う最後になるかもしれないという不安が俺の心を黒く染めていく。

仕事をあがり、車で彼女を迎えに行った。車の中でゆっくりと話をした。旦那と名乗り、俺に電話してきた彼の話は真実だった。冷静になろうと、感情を必死で押し殺し、俺は彼女の心意を聞く為に、状況を整理しながら自分自身の気持ちも伝えた。結婚しているのであれば、俺は最低な事をしている。しかし、それを聞いたところで俺の気持ちは揺るがない。離婚して俺を選んでくれるのであれば、俺を騙していた事は全て忘れる、俺がお前を幸せにすると。そして、離婚できない、したくないのであれば、俺は身をひくしかないと、自分の感情に釘を何本も打ち付け、心を殺しながら話した。彼女は泣きながら、子供のように【いやや、いやや】と言い続けた。

残念ながら、現実社会ではそんな事はまかり通らない。離婚が決まれば連絡して欲しい、もう俺からは連絡はしないと、心を鬼にして彼女に最後の言葉をかける。

その後、彼女からの連絡はなかった。燃焼し続ける彼女への想いを完全に消し去るのには、相当な年月を費やした。綺麗言のように聞こえるかもしれないが、恨みの感情はいっさい無かった。ただ悲しかった。こんなにも悲しい想いにならないように、どっぷりとハマらなければいい。そうやって感情のブレーキを無意識にかけるようになる。純粋で軟弱であった、俺の人を心から愛する気持ちは崩壊していき、自分を守りながら冷めた目で、女性と接する俺が確立されていった。

女性を心から愛せなくなったが、唯一の救いは、嫌いにならなかった事だった。モテたい、人気者になりたいという気持ちは消える事無く、俺の原動力となり、夢への道のりを一歩一歩と進ませてくれた。

其の一(海上自衛隊)

社会人第一歩は海上自衛隊!大学への進学を選ばずに、海上自衛隊に何故入隊したか。この作品の冒頭部と重複するが、祖父母に育てて頂いた俺は、軍隊に興味を持ち、強い男の生き様に憧れた。特に惹かれたのは、ジイちゃんに聞いた特攻隊の話しだった。

国を守る為、自分の家族や大切な人の為に、自らの命をかけて敵戦艦に特攻していった当時の日本男児。美化するつもりはないが、俺は敬意を感じた。決め手はトム・クルーズ主演映画『トップ・ガン』を観た事だった。俺は戦闘機乗りになる!目は良かったし、体力にも自身はあったが、学力が足りなかったので戦闘機乗りへの夢は遠かった。すぐにでも入隊したかった俺は、海上へと夢を膨らませる。

バアちゃんからの情報では、昔の海軍は陸軍やパイロットよりも女性にモテたらしい。ハイテンションで自衛隊のパンフレットを見ていた時、素晴らしい事に気付く。海上自衛隊の制服は、トム・クルーズが着ていた制服とデザインが、かなり似ていたのだ。希望は一気に海上自衛隊へと膨らんだのだ。何故、戦闘機のパイロット役であるはずのトム・クルーズの着ていた制服が、日本の海上自衛隊の制服と似ていたか。映画を観た人は分かると思うが、トム・クルーズは海軍のパイロットなので、空軍ではないのだ。アメリカには空母があるので、海の上からでも戦闘機を離着陸させる事ができるが、日本には空母がない。だから日本の戦闘機乗りは、航空自衛隊になってしまう。

長くなってしまったが、入隊までの流れで分かる様に全く痔の事なんぞ考えてもいない。実に単純な理由で海上自衛隊に入隊したのだ。

 

高校卒業後、予定通り海上自衛隊に入隊。まずは教育隊で4ヶ月間は基礎訓練・学習期間があり、その課程を修業後に各部隊に配属されていく流れであった。

最初の4ヶ月までは良かった。日の出と共に起床ラッパで目を覚まし、整列。国歌が流れ、国旗掲揚、適度な運動をしながら夜を迎える。昼間の運動で体も疲れ、23時なんかには完全に眠りにつく。とても理想的な規則正しい生活である。

部隊に配属されれば、そうはいかない。自衛隊は24時間体制の勤務である。確かに一般からすれば休みは多いが、決して楽な仕事ではない。当直があり、出港すれば港に停泊するまでは4交代、訓練になれば3交代制にもなる。それに並行して演習が始まれば、寝る事もできないままの時もある。

朝起きて、夜になれば温かい毛布に包まれて深い眠りにつく事などはできない。特に新米は覚える事や仕事が多い。自分が何もしなければ、仕事なんて誰も教えてなどくれない。

 

  1. 身近な先輩の仕事をとり、やり方を聞いて仕事をする。

  2. 1つ覚えれば、更に先輩の次の仕事をとる。

  3. ①と②を繰り返し、復習をする。

     

    そうすれば、お前は先輩にも可愛がってもらえるだろうし、仕事も同期の奴らより早く仕事を覚え、立派な海上自衛官になれる。

     

    これは教育隊で訓練中に教官から教わった事だ。

    俺は必死だった。痔の再発を気にしていては仕事なんてできない。必然とタブー(不規則な睡眠は避ける)を破っていく。護衛艦に配属され、就いた分隊は攻撃分隊と呼ばれる第一分隊。第二分隊は航海科分隊、第三分隊は機関科分隊、第四分隊は補給分隊と大きく4つに分かれる。

    そこから更に細かくいくつかの班に分かれる。俺は攻撃分隊の射撃と呼ばれる班に所属していた。どんな仕事かを一言で言うのは難しいが、護衛艦の先に付いている大きな大砲関係の仕事が主な仕事である。他にも色々あるが、本題に関係ある仕事だけ紹介しておく。

    大砲を扱うわけであるから当然、弾も扱う。弾といっても、あの巨大な大砲の弾なので拳銃の弾なんかの重さの比ではない。重い物を持つと、力んでお尻に力が入る。これは排便でキバル時と同じ様な事なので良くない。しかし持たないと仕事にならない。ここで2つ目のタブー(力む事は避ける)を破っている。

    もう1つの致命的な仕事は航海中の見張り業務である。船に艦橋と呼ばれる場所がある。簡単に言うと船の指令塔のような所で、舵やレーダー等があり、海図を広げ船の進路を決定する場所である。その艦橋の両サイドに吹きっ曝しの見張り場がある。

    そこは航海中、1分隊(下っ端)の仕事場になる。どんなに寒くても暑くても、雨が降ろうが雪が降ろうが、海が荒れようが、双眼鏡を覗いて艦橋に前方の状況を報告するのが業務だ。海の荒れが酷くなれば艦橋の中からの見張りになるが、それ以外はそこが航海中の仕事場になる。寒い時はいくら着こんでも、自然の寒さには勝てない。寒い日は、お尻が痛かった。ここで更に3つ目のタブー(冷やす事は避ける)を破っている。

    4つ目と5つ目のタブーは意地でも回避した。酒とタバコである。仕事のストレスからか、同期でタバコを吸わなかった奴等まで吸うようになっていった。それでも俺は意地でも吸わなかった。もう1つの酒も断固として断りつづけた。

     

    「あいつはノリが悪い。」

    「アイツは飲まないから面白くない。」

     

     いくら言われても関係なかった。上官に言われれば少しは飲んだが、健康的な俺は異常な程に顔が赤くなる為、上官も無理には勧めなかった。今思えば、上官にも恵まれていたのだ。

    痔の手術をした話しをしていた事もあり、酒を飲まされる機会もなくなっていった。食生活にも気を使い、食物繊維などのお通じにいい物を極力摂取するようにした。それでも3つのタブーを破りながら日々を送っていたので、便秘症とイボ痔の再発は避けられなかった。1年と4ヶ月で退職したが、自ら選んで進んだ進路であるし、今でも後悔はしていない。

    トム・クルーズが着ていた、カッコ良い金縁の入った制服は幹部にならないと着る事はできなかったので、セーラー服しか着ていない。学んだ事はかけがえのない財産となったが、当時のアルバムは開きたくない思い出となった。

    大きな希望と憧れを抱いて入った自衛隊だが、理想と現実は大きくかけ離れていた事と、他の事に色々と興味が湧いてきた俺は次のステップへと歩み始める。

    余談になるが、自衛隊にいた頃のボーナスで憧れの原付『ジョーカー』を買った。後ろ姿に魅入られて、病院をハシゴする事になった因縁の原付である。

痔と仕事

俺の様な便秘症と痔持ちにとって、あまり好ましくない仕事は数多い。高校生より痔持ちとなった俺は、もう一つの爆弾を抱えている。

産まれつき腰の骨が、ずれているのだ。中学生の頃に判明した事実である。医者には『君は大きくなったら、必ず腰にくるから、将来は立ち仕事避けた方がいいよ。』と言われていた。成長期に入る為、骨の矯正治療はできないとの事であったので、治療はされていない。

ずっと座ったままのデスク作業は肛門周辺の血管を圧迫し、うっ血を招く。うっ血は痔を召還してしまう。逆にずっと立ったままの仕事も同じく肛門周辺の血液の流れが悪くなる。立ち仕事は更に、腰にもくる。具体的に言えば、ずれた背骨で直立を続けると、ずれている骨周辺の筋肉が痛められ、椎間板(ヘルニア)を召還する。神経質に考えると、どんな仕事もできない。俺は仕事を体に合わせて選んだ事は一度もない。むしろ5体満足なのだから、贅沢言ったらバチが当たる。

基本的に何事においても制限される事が大嫌いな俺は、やりたい仕事を関係なしにやらせて頂いた。あまり細かい事を気にしていては何もできない。俺が今まで痔を意識せずにしてきた仕事の一部を、時には心温まる、時には笑えるエピソードと共に勝手に紹介していこうと思う。そして出会った多くの恩師と呼べる先輩方や、彼等から学んだ考えも合わせて紹介していく。俺自身が素晴らしいと感じた内容ではあるが、絶対に正しいという事はないので、参考程度に楽しんで頂きたいと願う。