ナルシス2世のブログ

エッセイ仕立てに構成。
第一章では高校生時代の入院記を
第二章では高校を卒業してからの職歴と、その中で出会った素晴らしい先輩方とのご縁や学び、エッセイを書く事になった経緯を記録した内容。

其の6 ブランド品のリサイクルショップ

孔明店長の退職後、俺はその半年後に退職して実家へ帰り、プータロー生活を続けていた。

念願のショットバーに勤める事ができたのに、退職したのには理由がある。大きな夢を掲げながらも、具体的な方向性は何も決めていない。念願のショットバーで働きながら、俺は葛藤していた。やりがいはあるのだが、貧乏生活からなかなか脱出できない。呑みにくるお客さんは富裕層が多く、羨ましくて仕方なかった。ブランド物のスーツやバッグ・アクセサリーなどの高価な物を身にまとい、綺麗なお姉さん達を連れてお酒を愉しんでいる。迷いが生じ、俺は困惑の中で退職という道を選んだ。

今考えれば、それは正解だったと俺は思っている。そうでなければ、あの男との縁もなかっただろう。そしてこの本書【痔の地獄】も存在しない。その男は当時まだ20代後半。年齢に反し、彼の堂々とした言動や存在感には圧倒されるものがあった。イカツイ見た目とは裏腹に面倒見が良い男だった。俺だけではなく、弟や妹・俺の友人まで大変お世話になる事になる。そんな彼との出会い方は最悪だった。

ショットバー在職中のある日、2人の男性客の来店があった。2人とも大柄でイカツイ感じだが、1人は常連さん、もう1人のブランド物を身にまとった、鋭い眼つきの男。その男が彼である。照明は暗め、エレベーターが開けばすぐの店内。俺は上がってくるエレベーターが、バーのフロアである7階で止まるのを確認した。扉が開くと同時に2人の大柄の男が、姿を現す。お出迎えの『いらっしゃいませ』を静かに言って、俺はペコリと頭を下げたが、これは失敗だった・・・声が小さ過ぎて聞えておらず、頭を下げたタイミングで彼の視界に入り、俺がウトウトしているように見えたようだ。鋭い眼つきのブランド男は俺に近づき、睨みつけながら・・・

 

『お前っ!今、寝とったやろ!』

 

 緊張状態に置かれた俺の鼓動は、徐々に加速し始める。必死で弁明するも、彼は疑いながら離れてくれない。このお店の常連である、もう一人の大柄の男が止めに入ってくれたので、なんとかその場は落ち着くのだった。

 ビクビクしながらもオーダーを伺ったり、お酒を運ぶたびに、俺は眼つきの鋭いブランド男に絡まれ続けた。そして用事もないのに『おい!お前、ちょっとこっち来い』と呼びつけられ、俺のプライベートに関する質問も色々された。

 俺は自分の話をするのが大好きである典型的B型男。海上自衛隊に在籍していた話から始まり、職歴や家族構成、双子である事や痔で入院していた話をベラベラと、嬉しそうに話した。最終的には俺の何を気に入ってくれたのか、名刺を5枚手渡し

 

『なにかあったらいつでも俺に言うてこい』

『何でもええ、面倒みたる』

 

そう言って、帰っていったのだ。それが彼との出会いであった。

 

その後、俺はショットバーを退職した。2週間ほど経った頃、彼の名刺に書いてあった電話番号のダイヤルを押す。彼は覚えていてくれた。そして早速、会って話を聞いてくれたのだ。場所はミナミ(心斎橋)

俺の話を聞いた後、飲食業にこだわらないのであれば、自分の会社に来ないかと誘ってくれた。その時、俺はまだ彼がどんな業種の会社を経営しているのか知らなかった。分かっているのは、20代後半にして富を手に入れ、ブランド品を身にまとって飲み歩ける時間をもっている男だと言う事だけである。名刺には【OWNER】と記載があるので経営者である事は理解できたが、名刺に記載されている【アルファベット表記の店名】や【委託、買取強化中】【BRAND CHANELHPRADAGUCCIFENDILOUISVUITTON etc・・・】の意味が全くわからなかった。

彼・・・社長は何も知らない俺に、優しく教えてくれた。そう、ブランド品のリサイクルショップだったのだ。

社長が20代前半で開業した当初、ミナミにブランド品のリサイクルショップは1件もなかった。先見の明があり、思い立ったが吉日で行動力もある。そんな社長はまた新しい事を考えていた。店舗を構え、商品を並べ、委託買取販売をしていたのだが、これからはインターネットで買い物をするのが主流になる事を先読みしていた。東京では既に存在したが、ミナミでは誰もやっていない。

ホームページを作り、商品のサイズや状態(中古品になるので、キズやシミの状態)を細かく記載し、写真も色々な角度から撮影したものを掲載し始めているところだった。

俺が社長に会った時、新しくYAHOOオークションへの出品を始めるタイミングでもあった。社長は俺にパソコンができるか確認したが、俺はパソコンなんて触った事もなかった。インターネットの意味さえも知らない。正直に答えると、覚える気があるかだけを俺に尋ねた。ブランド品やパソコンは知らない事だらけだけど、興味もやる気もある事を伝えて社長にアピールした。

社長はそんな俺を快く受け入れてくれたのだった。そのまま社長は俺を店舗に連れて行き、スタッフに紹介した。店長を務める社長の弟さん、同じ店舗内で別ジャンルのブランドリサイクルショップを営む社長の奥さん、アルバイトスタッフの超美人なお姉さんの3人がいた。

知らない事だらけの世界だったが、全てが新鮮で刺激だらけだった。孔明店長からの教えは、ここでも発揮される。ブランド品やパソコンの本を読みあさり、休日はウインドショッピングや家電量販店をまわって過ごした。

社長は教えてくれた。ブランド品を知っていたら女にモテるぞ・・・と。俺の仕事欲は更に燃え上がった。

パソコンは実家に1台あった。愚弟マサノリが大学生の時にアルバイトで稼いで購入したモノである。購入動機は不純で、エロゲーをしたいが為であった。そんな愚弟マサノリに使用許可を求めると、快くそのエロゲー専用パソコンをプレゼントしてくれた。やはり変わっている。

早速ネット環境を整え、帰宅後もお店のホームページをみながら商品の勉強できるようにした。とはいえ、当時はADSLの時代で現在の光の速度とは比べ物にならないくらい遅い。しかも、インターネットを繋いでいる間は電話が使えない。エロゲー専用パソコンもNECWindows98である。余談ではあるが、考えるとパソコンや通信の進化は恐ろしく早い。

しかし、できる事はいくらでもあった。パソコンを触った事がない俺は、文字を打つスピードが遅い。これを克服しなければ、仕事の効率は上がらないのだ。友人からもらったタイピングソフトの【北斗の拳】で練習していたが、ある程度からスピードが上がらなくなってきた。

決められた文字を限られた時間内で打ち込まなければならないタイピングソフトよりも、自分のスピードで自由に文字を打てるモノを探した。最初は好きな本をWordに打ち移していたが、あまり楽しくなかった。

何気なしに部屋をゴソゴソとあさっている時、痔で入院していた時の日記を発見する。運命の再会だった。その日記を元に、入院当時の事を思い出しながら、楽しんで文字を打ち始めた。ある程度出来上がった状態で、社長に読んでもらったのだが、予想以上の反応を示してくれる。

オモロイから早く続きを書いてこいと言って、絶賛してくれたのだ。俺はその気になり、調子に乗ってどんどん作品として仕上げていったのだった。その作品こそ本書の第一章【痔の地獄】である。文章を作成する上で参考にしたのは孔明店長から借りたことのある【毎日が冒険】だった。横書き、イラスト、文章のテンポ、面白い表現等、ベースは俺なりにパクッてみた。

顔の広い社長は面白がって、自分の奥さんや弟さん・友人・知人達へ次々と読ませていった。反応も良く、みんな面白いと笑ってくれたので、俺はどんどん調子に乗っていく。

とうとう、影響を受けた作品【毎日が冒険】の出版元である【サンクチュアリ出版】に原稿を送った。当時はお金を支払って、出版社から所見書を返送してくれるサービスがあったのだ。    返送されてきた内容は実に細かく、そして的確に弱点を貫いていた。評価してもらえた部分もありながら、厳しい事もたくさん書かれてある。俺は所見書に目を通しながら、自分自身の文章力のなさを実感するのと同時にチャンスも感じた。これだけ弱点が明確になれば、修正の余地はある。そして再びチャレンジできると確信した。

 

そして10年後の現在、再び俺は筆をとった。

大きな出来事が重なり、この作品を仕上げたい衝動に掻き立てられたのだ。

発端は20116月に社長が38歳の若さにしてこの世を去った事だった。俺にとっては母親以来の身近な人との別れだった。この作品を1番最初に読んでくれ、周りに広げてくれた社長。在職中も退職後も俺の事を気にかけてくれていた社長。俺は彼の事を忘れたくなかった。思い出もたくさんある。かけてくれた言葉もたくさんある。忘れる訳はないが、何か形に残るモノとして彼から学んだ事や生き様を記録したいと望んでいた。彼の奥さんの妹さんからも、依頼があった。それだけ社長は周囲の人間から愛され、そして大きな存在だったのである。

社長との別れから3年後20148月に俺は、双子の弟であるマサノリと2人で飲食店を開業する事になった。この事を起に、これまで俺がどれだけ多くの影響ある素晴らしい先輩方に出会い、そして開業までに至ったのかを記録したいと考え始める。これだけの条件が揃えば、作品に再び向き合う事になったのは偶然ではなく必然だった。

 

ここで社長の人柄を知る事ができる、あるエピソードを紹介させて頂こうと思う。

社長のブランドリサイクル店に在職中、先輩から仕事のお誘いがかかった。先輩は北新地で食堂を始めたのだが、スタッフが足りないと俺に声をかけてくれたのだ。現在の勤務事情を話し、週3回くらいで良ければお力にならせて下さいと答えた。勤務時間帯も違うし、それくらいであれば、昼の仕事に支障はでない。お世話になった先輩への義理も果たせる。そう考えて俺は、社長へは内緒で週3回のアルバイトを始めた。

このようなタイミングは重なるもので、キャバクラ時代のゴッド先輩からも、お誘いがあった。さすがにコレはまずいと考え、事情を説明してお断りした。しかし、ゴッド先輩は容赦なかった。昼の仕事は週6日、夜のバイトは週3日・・・夜はあと4日空いている。そのうち1日は昼も夜も空いているという点を指摘され、俺は逃げ道を失った。参考までにもう一度、ゴッド先輩の人間性を振り返って頂きたい。

(抜粋文)

年齢は俺の10歳上の男性。自分にも厳しいが、部下にも容赦はない。見込みのない人間と判断すれば、あっさり切捨てる冷酷な男である。

頭の回転も速く、人の考える先の先まで考えて動くので、一緒に仕事をしていても最初は指示された内容についていけない。

 

そんな彼から認められ、力を見込んでのお誘いとあって嬉しかったが、昼の仕事への支障が出ないかという不安もあった。でも、俺はやるしかなかった。お世話になった二人の先輩への義理、俺のやる気をかって採用してくれた社長への義理は、俺の性格上どれも避ける事ができなかった。どれを欠いても裏切り・不義理になってしまうのだ。

どの仕事も全力でやりながら3ヶ月が過ぎた頃、ひょんなことから社長にバレた。社長はミナミでも顔の広い男で、実は師匠とも繋がっていた。社長と同じく、師匠も顔の広い人間で、新地の食堂の先輩とも繋がっていた。

つまり、師匠は社長とも食堂の先輩とも繋がっており、俺が社長お店で勤務しながら、食堂のバイトにはいっている事も知っていたが、社長に内緒でバイトしている事はしらない。俺は師匠が社長と繋がっている事も知らない。そしてタイミング良く、師匠はミナミの街で社長と会い、その時に俺の話がでたのであった。

前置きが長くなったが、この後の社長の言動は彼の寛大な人柄を現している。事実を知った社長であるが、とても楽しそうな笑顔で俺に話しかけてきてくれた。

 

社長『シナノ君、ええコト教えたろか?』

俺  『えっ?何ですか?』

社長『・・・お前、夜何してんねん?』

 

俺は悟った。社長の顔の広さは知っていいたし、内緒にしていたバイトがバレたのだと。師匠と繋がっていたのは予想外だった。俺はスグに謝罪し、食堂のバイトを辞めると伝えた。すると社長は、昼の仕事もちゃんとできているし、今後も支障がでなければ続けてもいいと言ってくれた。お世話になった先輩からの頼みを、断れなかったのだろうとも言ってくれた。社長は俺の性格も理解してくれていたのだ。社長自身も人との繋がりを大切にし、不義理を嫌う人だった。

俺がとった行動は、食堂の先輩に対して義理立てしているが、社長に対しては不義理をしている。それにも関わらず、寛大な心で俺自身を受け入れてくれ、許してくれたのだ。仕事をクビにされても当然なのに。最後まで聞かれる事はなかったが、もう一つのバイトの件も知っていたのだと思う。

俺は食堂の先輩に事情を話し、バイトを辞める事にした。食堂の先輩も人格者で、俺を責めず、社長と俺に対して悪い事をしたと言って、彼自身が社長に謝罪に行くとまで言ってくれた。俺は自分自身の責任なので、何も言わないで欲しいとお願いした。

ところが翌日の夜、社長は奥さんとバイト先の食堂まで、食事に来てくれたのだ。食堂の先輩も俺も驚いたが、食堂の先輩はすかさず謝罪を入れた。すると社長は逆にお礼を言った。ブランドショップの仕事を頑張ってくれているのも、その先輩の教育が良かったからだと言って。器の小さい俺にとっては異次元の会話だった。

社長の奥さんも寛大な方で、後日俺に話してくれた。飲食店で働いている方が活き活きしているし、その業界の方が向いていると。その後もしばらく社長の元でお世話になっていたのだが、退職して東京の飲食店で働く事になる。それも社長と奥さんが後押ししてくれたのだ。社長自身も下積み時代は東京で過ごしていた経験があり、学ぶモノがたくさんあったと経験談をしてくれた。

東京へ出発するまでミナミの色々な飲食店へ連れていってくれ、行くお店ごとに『こいつは東京へ行って、大きくなって帰ってくるんや』と俺の事を自慢してくれたのだ。時には弟や妹も呼べと言って、一緒に食事に連れていってくれて、とても可愛がって頂いた。出発前には餞別だと金一封も包んでくれた。東京で勤めていたお店にも遊びに来てくれた。社長が下積み時代にお世話になった方もご紹介頂き、東京ではその方にも可愛がって頂いた。不義理をした俺は、一生返せないくらいの恩を受けたのだ。俺が知る限り、社長は誰にでもそんな事をしていない。

 義理人情・礼儀に厳しい社長は、お酒が入るとデキていない人に対して狂暴になる。そして一緒に呑んでいる相手や、お店のスタッフにガンガンお酒を進める。ある男は灰皿で頭をしばかれ、流血しながら泣いて謝っていた。ある女は呑まされ過ぎて、目も当てられない状態になってしまう事も多々あった。

お酒が入ると狂暴化する社長だが、いくら酔っていても俺には優しかった。

俺はそんな社長に恩を受け、後押しまでしてもらいながら次のステージ東京へと進んでいく。