ナルシス2世のブログ

エッセイ仕立てに構成。
第一章では高校生時代の入院記を
第二章では高校を卒業してからの職歴と、その中で出会った素晴らしい先輩方とのご縁や学び、エッセイを書く事になった経緯を記録した内容。

あとがき

ご愛読ありがとうございました。この作品は部屋を整理していた時に見つけた日記がネタもとです。その日記をパソコンのタイピング練習の為に、打ち始めた文章でありました。

途中まで仕上がった段階で読んでもらった所、ご好評を頂きましたので、調子に乗って作品にさせて頂きました。

日記を読み返しながら当時の事を懐かしく思い、楽しくやらせて頂く事ができました。しかしパソコンで初めて文章作成をしたので、なかなか思うようにいかなくて苦労しました。何とか「あとがき」までたどりつく事もでき、無事に出来上がりました。

人によっては恥ずかしいと思う文章を素直な気持ちで書けたのも、優しい祖父母に育ててもらったからだと思っています。祖父母に対する尊敬と感謝の気持ちは、いつまでも忘れません。

途中のできを読んで誉めて下さった方々、厳しく評価して下さった方々にも大変感謝しております。読んで頂いた全ての方に感謝致します。ありがとうございました。

 

 

平成27年(2015年)81日(土)

     科埜 政武(37 

【奇跡のようなお話】

2008 /10 /13 ナルシス1世 mixi日記より)

104日にナルシスは『ピンクリボンチャリティパーティー』に行って来ました。

ご存じの方も多いと思いますが『ピンクリボン』とは、乳がんで娘を亡くした女性が同じ悲しみを繰り返さないようにと願いを込めて、孫にピンクのリボンをプレゼントした事がきっかけとなった【乳がん】の『早期発見』『早期診断』『早期治療』の大切さを伝える世界のシンボルマークだそうです。

毎年10月がピンクリボンキャンペーン月間で、101日に東京タワーがピンクにライトアップされたり、各地で様々なイベントが行われています。

たまたまではありますが、ナルシスの勤めるお店にパーティーの主催者の方が来られた時に、ご招待を頂きました。

ピンクリボンの事はなんとなく知っていたし、母ちゃんを乳がんで亡くしているナルシスにとっては、他人事には思えなかったので、参加させてもらう事を決め、パーティーのチケットを購入しました。

パーティー当日に、弟から電話があり

『今日って何の日か覚えてるか?』

と聞かれました。ナルシスは全く覚えていなかったのですが、母ちゃんの誕生日だったのです。

乳がんで亡くなった母ちゃんの誕生日に開催された、ピンクリボンチャリティパーティーに参加できた事は、きっと偶然ではなかったとナルシスは思います。

ご招待下さった方と、母ちゃんの誕生日を思い出させてくれた弟に感謝です。ナルシスは逃げていたのかも知れません。

母ちゃんの生まれた月は、母ちゃんの亡くなった月でもあり、忘れたい月でもあったのです。そんな10月が、ピンクリボンキャンペーン月間とは衝撃でした。

何ができる訳ではありませんが、ナルシスはこの奇跡のようなお話を少しでもたくさんの人に知ってもらいたく、日記を書きました。

長い文章になりましたが、最後まで読んでくれた方々に感謝しつつ、今日もナルシスはカッコ良く終わろうと思います。ありがとうございました。(以上日記全文).
ピンクリボンの事はなんとなく知っていたし、母ちゃんを乳がんで亡くしているナルシスにとっては、他人事には思えなかったので、参加させてもらう事を決め、パーティーのチケットを購入しました。
パーティー当日に偶然、弟から電話があり『今日って何の日か覚えてるか?』と聞かれました。ナルシスは全く覚えていなかったのですが、母ちゃんの誕生日だったのです。

乳がんで亡くなった母ちゃんの誕生日に開催された、ピンクリボンチャリティパーティーに参加できた事は、きっと偶然ではなかったとナルシスは思います。

ご招待下さった方と、母ちゃんの誕生日を思い出させてくれた弟に感謝です。ナルシスは逃げていたのかも知れません。母ちゃんの生まれた月は、母ちゃんの亡くなった月でもあり、忘れたい月でもあったのです。そんな10月が、ピンクリボンキャンペーン月間とは衝撃でした。

何ができる訳ではありませんが、ナルシスはこの奇跡のようなお話を少しでもたくさんの人に知ってもらいたく、日記を書きました。

長い文章になりましたが、最後まで読んでくれた方々に感謝しつつ、今日もナルシスはカッコ良く終わろうと思います。ありがとうございました。

【ちょっと感動できるお話】

082月・妹の結婚式にて兄よりのスピーチ)
妹は幼稚園の頃に母親を病気で亡くし、高校生の頃には父親が家からいなくなるという不幸に聞こえるような出来事に遭遇しています。
 しかし母は亡くなる前に自分の両親に託したのでした。それは実に幸福な道へと導いてくれました。
 祖父母にとっては、世代の違う親達の中での二度目の子育て。とても大変だったと思います。祖父母は母となり父となり、【家族の温かさ】【思いやりの心】【感謝の気持ち】を言葉ではなく、育ててくれる中で惜しみなく与え、そして教えてくれました。
授業参観・運動会・進路面談等の学校行事には全て参加してくれました。両親がいない事の寂しさを感じさせないようにしてくれていたのです。

母はそうなる事を確信し、最期に自分の両親へ自分の子供達を安心して託していったのだと思います。

そんな恵まれた環境の中、妹は育ってきました。この場を借り改めてお礼を言わせて頂きます。

『じいちゃん、ばあちゃん、妹をそして僕らを立派に育ててくれてありがとう』

母の導きにより祖父母の愛に包まれ、妹は心の綺麗な素直な女性へと成長しました。だからこそ、こんなにも素晴らしい新郎に出会い、この縁があったと・・・そしてこの出会いは偶然ではなく、必然であったと僕は思っています。

妹はどこぞのお城のお姫様のような所もあり、少し偉そうでキツイ物言いをする事もありますが、後で一人静かに反省しているという可愛らしい一面もあります。

なので、YさんRさん(新郎のご両親)もどうぞ、うちの妹を宜しくお願い致します。

実は今日、余興の為に僕の友人3人にも来てもらっています。彼らは僕の高校時代からの最高の友人達です。

『何で兄貴のお前が友達呼んでんね』

と言われるかもしれませんが、僕にとっては中学生の頃からの妹を知る家族同様の大切な友人達です。

余興の為と口実を作って、僕が強引に誘いました。自分の妹の晴れの舞台を、そんな友人達にも見てもらいたいという勝手な想いでしたが・・・

『お前の妹が呼んでくれたらな!』

『お前の妹の為やったら喜んで!』

と快く出席してくれました。再びこの場を借りてお礼を言います。

TMI(3人の友人)、ホンマにありがとう』

今、幸せいっぱいの妹の顔を見ながら振り返ると、いつの間にか妹はランドセルを背負わなくなり、セーラー服も着なくなり、気が付けば歯科衛生士の資格を取り、歯医者さんで働いていました。

職場の愚痴ばかり言っていると思えば、後輩ができ、後輩の相談相手になり、職場では先生から頼りにされ、辞める事を惜しまれる存在になっていました。

話をしても、しっかりとした仕事に対する考えを持ち、僕とも対等に仕事の話が出来る人間に成長していました。

僕にとって妹は誇りです。そして宝物です。

自分自身は高校を卒業後、家を出て好き勝手に職も済む場所も転々とし、あまり家族と生活をしていませんでした。

妹が中学卒業後、高校入試を含め思春期で色々な悩みを抱えている時、苦しかった時、嬉しかった時、兄として相談にのったりとメンタル面で一番支えになったのは、彼女の兄であり、僕の弟でもあるこの男だと思います。

僕ばかり話していても味気ないので、少し話してもらいます。(以上スピーチ全文)