ナルシス2世のブログ

エッセイ仕立てに構成。
第一章では高校生時代の入院記を
第二章では高校を卒業してからの職歴と、その中で出会った素晴らしい先輩方とのご縁や学び、エッセイを書く事になった経緯を記録した内容。

其の4 ミナミのスナック

それでも、負けない!言葉の通じないアメリカへ行かないのなら、大阪ミナミで有名になってやる!そんな時、アルバイト雑誌で【バーテンダー見習い募集】の広告を目にする。

大阪心斎橋(ミナミ)、晴れて都会デビューを飾るにふさわしい場所だ。速攻で電話をし、面接を受けに行った。

お店に入ると美しい女性が1人。彼女は面接担当ではなかった。少し待つようにと言って、電話を手に取り、担当に連絡をする。待っている間、お店をジロジロ見回した。カウンターには酒屋や本で見たリキュールや、バー器具が並んでいる。

これから俺は華々しく、この美しい女性と共にミナミデビューを飾れる。俺の再スタートにはピッタリの店だと、面接すら受けていないのに強くイメージした。しばらくして、面接担当が到着する。その人もまた美しい女性だった。俺のテンションは緊張を吹っ飛ばし、興奮状態になるが、面接は実にあっけなかった。

 

担当 『履歴書ある?』

俺   『はい』(履歴書を渡す)

担当 『色々やってるね。で、お酒飲める?』

俺   『はい。弱いですが多少は・・』

担当 『飲めるって事ね。いつから来れる?』

俺   『いつからでも大丈夫です』

担当 『ほな、来週からおいで。』

    『通う?こっちで借りる?』

    『借りるんやったら、不動産屋さん紹介するよ』

俺   『ありがとうございます!借ります!』

 

見事に採用&新生活もスタートだ。翌週から働き始めたのだが、初日に間違ったと感じた。

そう、ショットバーではなく、スナックだったのだ。面接時は自分に都合の良い景色ばかり映っていた。あっけなく終わったと感じていた面接だが、恐らく【ショットバーではない】という説明もあったはずだ。美人なお姉さんと働ける事が脳を支配し、興奮状態になっていた俺の記憶には残っていないが。

よく店内を見ると、カラオケ用のモニターやマイク、ボトルキープされたお酒が並んでいる。

元々はショットバーの居抜き物件で、お酒や器具もそのまま譲り受けたお店の為、ショットバーにも見えたのだ。夢のような華々しいミナミデビュー・・・なんて世の中そんなに甘くはない。カウンターでの接客なんて初めて。つくるお酒は水割り。お客さんは2人の美しい女性に会いに来ている。しかも彼女達は、北新地でホステスをしていたベテランだった。接客も歌も抜群に上手く、酒も強い。面接をしてくれた人がママなのだが、知的なトークもすれば、バカになって下ネタでも盛り上げる。田舎者には刺激の強すぎる世界で、毎日がパニックだった。

お店が終われば、ママはほぼ毎日食事&呑みに連れていってくれた。ものの言い方は、ストレートでドギツイ。よく言われたのは【ショボイ】【キモイ】【ウザい】である。ナルシストとしての俺のプライドはズタズタに引裂かれる日々が続く。悔しい思いもたくさんしたが、辞めたいとは考えなかった。

ママはお世辞抜きに妖艶な美しさを放つ女性で、高嶺の花のような存在だった。この人に認めてもらいたいという願望が強く芽生え始めていた。人間としての魅力に惹かれたのだが、若干の下心はあった。こんな気の強い女性に好かれる自分になれば、自身の器が上がるとも思い、必死に喰らいついた。無謀な目標ではあるが、最終的にはママを惚れさせる事を秘かに決める。これは今まで誰にも話した事のない、心の目標だ。

常連さんから『男が女の下でペコペコ働いて悔しくないんか?』と言われた事もあったが、そんな悔しさは一切なかった。それよりも、ママの仕事ぶりは日々肥やしになっていた。たくさんの事を教わる中で、衝撃的だったエピソードの1つを紹介させて頂く。

お店が暇だったある日、静かにカクテルブックを読んでいると、ママはキレながら俺に言った。

 

『お酒なんか、どこで呑んでも同じやねん!』

『そんな時間あるんやったら、キャッチでも行き!』

 

その言葉は、バーテンダーになって美味しいお酒を作れるようになりたいと、勉強・練習をしながら、日々スキルを磨いている俺を全否定するものだった。言われた時はショックで言葉が出てこないし、理解もできない。あるのは悔しさのみだ。ママが放った言葉の真意を、その時は気付く事が出来なかった。

 

『ふざけるな、必ずママを俺の作るお酒でうならせたる』

 

当時はそう思っていた。後にママの元を離れ、色々な飲食店で経験を積んでいくうちに、真意を理解する事となる。ママが伝えてくれようとしていたのは『おもてなしの心・人間力』だったのだ。

俺が自身のスキルアップしか考えていなかった事に、ママは気付いていたのだ。どんなに美味しいお酒を作れるようになったとしても、飲んでくれるお客さんがいなければ宝の持ち腐れである。飲んでくれるお客さんがいたとしても、そんな自己満足で作られたお酒を美味しいと感じてもらえるだろうか?お客さんはバカではない。遅かれ早かれ必ず気付くのだ。十人十色、お客さんによって様々な好みがあり、そのお客さんの事を考えて作る事ができなければ、バーテンダーとしても失格である。

美味しいカクテルを作れる事は『おもてなし』の手段の1つであり、全てではないと言う事を教えてくれていたのだ。【どこで呑んでも同じ】だからこそ、誰がどんな気持ちで作ったお酒なのかが重要なのである。つまりは人間力だ。もちろん、ある程度の基本的スキルは必要であるが、経験を重ねればスキルアップは可能になる。しかし、おもてなしの心は意識しなければ身にはつかない。おもてなしの心がなければ、人間力は生まれない。掘り下げて考えれば、ママの教えの深さが理解できる。

今現在もミナミでお店をされているが、実に素晴らしいお店である。あれから15年が経ち、俺もそれなりに場数を踏んで追いついた気になっていたが、まだまだママは高嶺の花だ。出会い、学ばせて頂いた事に感謝しかない。俺の心の目標も達成していない。

 

当時はママの教えを理解できず、美味しいカクテルを作る事しか頭になかった。そんな俺を見かねてか、バー巡りも一緒にしてくれた。ママのお店と同じビル内に炉端割烹のお店が入っていたのだが、バーも系列店として同ビル内にあった。そこで俺は、初めて師匠と言うべき男に出会う。3つ年上の男で、かなりのイケメン。トークも最高に上手いのでカウンターには、可愛い&綺麗な女性で毎日いっぱいだった。俺が追い求めた世界を実現している人だった。俺は彼の事を今現在も【師匠】と呼び、崇拝している。

師匠は、ただチャライだけのイケメンではない。炉端割烹の勤務を終えた後、バーに入ってバーテンダーとなるというハードワークをこなしながら、テンポの良いトークと美味しいお酒で店内を盛り上げるのだ。この師匠との出会いは、ママに雇ってもらっていなければ、なかった縁である。ママのはからいもあって師匠には、とても可愛がって頂いた。悪い遊びもたくさん教えて頂いたので、バーテンダーの師匠と言うよりも、人生の師匠と表現した方が正しいかもしれない。