ナルシス2世のブログ

エッセイ仕立てに構成。
第一章では高校生時代の入院記を
第二章では高校を卒業してからの職歴と、その中で出会った素晴らしい先輩方とのご縁や学び、エッセイを書く事になった経緯を記録した内容。

其の8 大阪の新天地

俺は東京へ行き、素晴らしい出会いをたくさんし、多くの経験と財産(人との縁)を手に入れた。そして20062月から大阪へ戻り、新たな物語が始まった。

 約束通り声を掛けてくれた孔明店長がオープンさせたお店で、2014年2月末までの8年間お世話になった。ここでも多くを学び、経験させて頂く事ができた。

遠距離で付き合っていた彼女との別れ、常に応援してくれていたブランドリサイクルショップの社長との死別もこの8年の間に起こっている。

 俺の宝物でもある妹の結婚・出産という目出度い経験もさせてもらった。再び人を真剣に愛する事を思い出させてくれる女性との出会いもあった。この8年間は、更に内容の濃い年月となった。

 

機会を与えて頂ければ、次回作として作品化させて頂きたい。次回作の一部になるが、【ちょっと感動できるお話】【奇跡のようなお話】の原稿を勝手にご紹介させて頂く。

其の7 東京歌舞伎町のBAR

26歳の10月、俺は夢と希望を膨らませ東京へと飛び立った。この地でもたくさんの縁があり、多くを学び、貴重な経験もできた。その中でも大きな縁になるのが、東京で出会い付き合う事になった女性との縁である。過去のトラウマから、人を本気で愛する事が出来なくなっていた俺に愛を与え、そして愛を教えてくれた女性でもある。そんな彼女との出会いも含め、ここでは色々な人との出会いを中心に紹介していこうと思う。

 

高校時代の同級生が東京大学で院生をしており、彼と共同でアパートを借りる事になっていた。場所は山手線の巣鴨駅から徒歩5分圏内のぼろアパート。東京に着いた翌日から求人誌を片手に、アパート近くのインターネットカフェで仕事探しを始めた。お金もたくさんあったので、焦らず一つに絞ってから面接に向かった。

俺が目をつけたのは、東池袋にあるショットバー。カクテルの数も多く、若者の街のイメージもあり、可愛い女の子もたくさんいる。俺ほど男前ならスグに可愛い彼女もできるとワクワクしていた。最低な感覚だが、真剣に付き合う彼女をつくる気は毛頭ない。

面接を終え、手応えも感じた俺はハイテンションで巣鴨へ帰宅。面接の結果が出るまでの数日間は、バイト探しをしないで東京観光と路線を勉強して過ごしていた。

採用であれば一週間以内に連絡が入る事になっていたが、携帯電話が鳴る事はなかった。7日目の0時を過ぎてから次のバイトを探す為、俺はのんびりと求人誌を片手にインターネットカフェに入った。

しかし、席についてすぐに携帯電話が鳴りだした。採用されたと喜んだが、話の内容は少し違った。前回の募集で良い人材が入ったようで、俺は不採用とのこと。しかし新宿の歌舞伎町にも店舗があり、アルバイトを募集しているとの事だった。勤務場所にこだわらないのであれば、歌舞伎町店の支配人に紹介を入れてくれるという。不採用にも関わらず、なんとも有難い対応だ。迷いは全くなかった。池袋より距離はあるが、歌舞伎町という響きが妙にしっくりきたのだ。一つ返事でお願いし、翌日に新宿歌舞伎町へ面接を受けに向かった。

面接をしてくれたのは歌舞伎町店の支配人だった。京都出身の明るくて気さくな感じの男なのだが、時おり混ざる関西弁が俺の緊張を更にほぐしてくれた。その支配人も俺が大きく影響を受けた人間の1人だ。年齢は俺の6つ上で、歌舞伎町店のトップである。支配人は当時の俺と同じく26歳の時に東京に出てきたそうだ。バイトから入り、正社員になり、支配人というポジションまで昇った努力の人である。26歳にして飲食業は初めて、アルバイトの先輩は年下ばかりという事もあり、血の滲む努力が必要だったに違いない。

支配人は仕事ぶりを背中で見せてくれるタイプの男だった。部下に対し、指示を出すだけでなく、自らも率先してこなす。当たり前のように聞こえるが、できている人は少ない。その仕事ぶりを現すエピソードがある。

外販活動の一環で、訪問営業をする仕事があった。飲み放題付きのパーティープランを記載したチラシを持って、会社や物販店を周り、団体の宴会予約を強化する狙いの仕事だ。繁盛店ではあるが、こういった活動を常に行っている素晴らしいお店だった。

俺は訪問営業の担当に選ばれ、各スタッフの活動を集計する役目を与えられていた。新宿のどのエリアで誰が何件まわったか、反応はどうだったか、訪問営業をする際に効果的な案内法・反省改善点などを報告する役目である。最初はスタッフ全員がやる気満々だったが、報告件数は徐々に少なくなっていた。訪問営業はミーティング後に全員で行う以外、基本的には出勤前や休日を使って各自で行っていた。学生のアルバイトにとって本業は学業、フリーターの俺もアルバイトなので時間給だ。時間があれば、別のアルバイトを探した方が稼げる。よく考えれば実にバカバカしい。

しかし、俺は訪問営業の担当で集計報告係りでもある。その俺自身の訪問件数が少ないのは、役目を与えてくれた支配人に対しての不義理になってしまう。気持ちは乗らなかったが、出勤前や休日を使って件数をこなし続けていた。報告件数が少なくなっていく中、支配人だけは件数が増えていた。普段の営業も現場に立ち、営業後には支配人業務もあり、休みも少ない。そんな支配人が、担当である俺に笑顔で件数報告を続けていた。そして俺が休日を使って訪問営業をしている事を知ると、休みが同じ日を見つけ、一緒に行こうと声をかけてくれた。

バカバカしいと思っていた自分自身が恥ずかしかった。支配人を見ていたのは、俺だけではなかった。彼の部下全員が、彼の背中を見ていたのだ。それを示すが如く、ある日を境に報告件数は増え始めた。偉そうに命令するだけでは、人はついて来ない。支配人は見事に部下達の心を掴み、売上としての結果も出していった。

もう一つ惹かれたとすれば、支配人が部下に接する時の気持ちかもしれない。彼は俺達部下の事を、部下と表現した事は一度もないのだ。ミーティングで話す時も、常に俺達の事を仲間と呼んでくれていた。俺は支配人の人柄に惹かれ、彼の元で仕事をしながら多くの事を学ぶ事ができた。その他のスタッフもみんな最高だった。もちろん短所もあったが、それ以上にそれぞれ個性的な長所があり、俺の中では最強メンバーだったと思っている。

副支配人はバーテンダーとして素晴らしい技術を持ち、彼の作る繊細なカクテルは誰もマネが出来ない!

バー担当のアルバイトAはムードメーカーで、カウンターに立てば絶妙なトークでお客さんを盛上げ、ドリンク提供スピードは店内トップ!

ホール担当のアルバイトKRの2人はどんなに忙しくても落着いた優しい接客をこなし、バーやキッチンへ伝えるオーダー優先順位の指示も的確!

トップランナーという役職を与えられているアルバイトHは、全てのポジションをバランス良くこなし、責任感の強さはダントツ!

キッチン担当の俺は料理をレシピ通り正確に、クオリティーを守りながらスピーディーに作っていた。

支配人は部下の力を把握し、個々の能力を伸ばしながら、個性あるメンバーを率いていた。それぞれが、全てのポジションをある程度できるようになっていたのだが、最も力を発揮できるよう適材適所に配置し、お店を盛り上げていた。

女性にモテたくて飛び込んだバーテンダーの世界。この歌舞伎町のお店では、俺の担当はキッチンがメインで、ほとんどホールにもバーにも出る事はなかった。それでも楽しく仕事ができたのは、このメンバーのおかげだった。新人は最初キッチンにポジションを置かれ、できる様になればホールに出される。ホールができる様になれば、華型であるバーに立たせてもらえるのだ。

俺は同期の中では料理の提供スピードも含め、バーに立たせてもらうのも一番遅かった。バーに立たせてもらえても、提供スピードは遅い。大阪ミナミのバーで鍛えられた俺は、副支配人の次くらいに美味しいカクテルをつくれる自信があった。しかし、このお店では【スピード>クオリティー】でなければ通用しない。もちろんクオリティーが低いわけではないが、お客さんがこのお店に求めるニーズは【スピード=クオリティー】ではないと感じた。

それを強く感じたのは、バーテンダーになりたての頃に孔明店長から学んだ【生ビール】だった。このお店でバーに立たせてもらった時、俺は孔明店長から学んだ最高の生ビールを注いだ。それをホールにいた副支配人が『親切じゃねぇ~な、このビール』と言って不愉快そうに運んでいった。俺は副支配人の言う意味が理解できなかったが、支配人やバー担当のAが注ぐ生ビールと比べて気付いた。

それは泡だった。孔明店長から学んだ極め細かい泡ではなく、荒い泡でモッコリと表面張力状態になっている。俺が入れた生ビールの泡は極め細かいので、運ぶ時にバランスを崩せば溢れるくらいの状態なのだ。混雑したピーク時の店内でドリンクや料理を運んでいるホールからすれば、俺の注いだ生ビールは迷惑なだけで親切さに欠ける。運びにくく、溢れてお客さんにかかってしまえば、お客さんにも迷惑がかかるのだ。旨いのは俺が入れたビールに決まっているが、お客さんはそこまでの生ビールは求めていない。いかにスピーディーに冷えた生ビールが運ばれてくるかが肝心なのだ。カクテルに使用している氷は製氷機でつくられた氷だし、価格もミナミのお店と比べれば非常に低価格なのだ。

副支配人は何も間違っていない。彼ほどの優秀かつ繊細なバーテンダーであれば、旨いビールなんて簡単に注ぐ事ができるはずだ。彼のようなバーテンダーになれば、お客さんのニーズに柔軟対応きるようになる。俺は自分の未熟さを改めて思い知らされたと同時に【スピード=クオリティー】が全てではないと感じたのだ。他のアルバイト仲間からも、そのような感じでたくさんの事を学ぶ事ができた。

そんなある日、一人の女性との出会いがあった。彼女が初めてお店に来た時、俺は休みだったのだが、バー担当のAが俺の話をしていた。彼女と俺は同じ年齢で、大阪出身なのに面白くない関西人として紹介されていた。そして明日は出勤しているので、またお店においでと誘っていたのだ。Aの紹介が興味をそそったのか、面白半分なのかはわからないが、彼女は翌日もお店にやって来た。同じ年齢という事もあり、話は盛上った。何度か食事へ行ったり、映画を観に行ったりしていくうちに、そのまま付き合う事になった。最初はお互いに遊びで、別に真剣な交際ではなかった。彼女自身もそう話していたし、俺も過去にトラウマがあり、どこかで一歩引いていた。

 それを知ってか、彼女はいつの頃からかたくさんの愛情を俺に注いでくれるようになった。とても新鮮な感覚だった。風邪をひいた時にお粥を作りに来てくれたり、彼女が休みの日は食事を作ってアパートで待っていてくれたり、遊園地で子供のようにはしゃいだり甘えたり、恋人同士では当たり前に行われる日常が、俺には非日常で戸惑う事も多々あった。

時には俺の無神経な言動で、彼女を傷付けて悲しませた事もあった。それでも彼女は俺を理解しようと、常に努力し続けていてくれたように思う。今思えば、感謝しかない。



麻痺していた人を愛するという感情が戻りつつあった頃、ミナミのショットバー時代の孔明店長から連絡があった。大阪市内で自身のお店を開業するとの知らせで、かつての約束通り俺に声を掛けてくれたのだ。

時は200510月。オープンは11月予定との事で、年明けに大阪に戻って来る事が可能かといった内容だった。迷いはあったが、俺は大阪へ帰る事を決意する。

支配人にその内容を伝え、翌年の1月末で俺の退職が決まった。彼女との事もあったが、俺は遠距離でも大丈夫だと思った。しかし、トラウマは思っていた以上に深く、俺の心を蝕んでいた。遠距離になってからも、彼女は週末の休みを使って大阪へ会いに来てくれたが、会う機会が少なくなってくると、俺の感情は徐々に変化し始める。彼女を大切に思う気持ちは変わらなかったが、恋愛感情が持てなくなっていた。実に勝手で最低な男である。葛藤の末、彼女とは別れる事になった。それから今に至るまでの約10年間、俺は特定の女性とお付き合いをしていない。

恋愛に興味が持てなかった俺は、仕事に没頭した。恋愛が面倒に感じ、時間の無駄使いだとさえ思うようになっていく。ただ、ふとした瞬間に彼女の笑顔を思い出し、心が苦しくなる事もあった。俺の恋愛史において、あれだけの愛情を注いでくれた女性はいない。失って初めて気付く深さは、俺が真剣に彼女を愛する事が出来ていた証でもあった。底知れぬ感謝の気持ちはあっても、未練は全くない。彼女が幸せになってくれているのであれば、それだけで充分であり、俺がしゃしゃり出る幕などはない。

現在、彼女は素敵なパートナーと出会い、2人の子宝にも恵まれ、幸せに暮らしている。


其の6 ブランド品のリサイクルショップ

孔明店長の退職後、俺はその半年後に退職して実家へ帰り、プータロー生活を続けていた。

念願のショットバーに勤める事ができたのに、退職したのには理由がある。大きな夢を掲げながらも、具体的な方向性は何も決めていない。念願のショットバーで働きながら、俺は葛藤していた。やりがいはあるのだが、貧乏生活からなかなか脱出できない。呑みにくるお客さんは富裕層が多く、羨ましくて仕方なかった。ブランド物のスーツやバッグ・アクセサリーなどの高価な物を身にまとい、綺麗なお姉さん達を連れてお酒を愉しんでいる。迷いが生じ、俺は困惑の中で退職という道を選んだ。

今考えれば、それは正解だったと俺は思っている。そうでなければ、あの男との縁もなかっただろう。そしてこの本書【痔の地獄】も存在しない。その男は当時まだ20代後半。年齢に反し、彼の堂々とした言動や存在感には圧倒されるものがあった。イカツイ見た目とは裏腹に面倒見が良い男だった。俺だけではなく、弟や妹・俺の友人まで大変お世話になる事になる。そんな彼との出会い方は最悪だった。

ショットバー在職中のある日、2人の男性客の来店があった。2人とも大柄でイカツイ感じだが、1人は常連さん、もう1人のブランド物を身にまとった、鋭い眼つきの男。その男が彼である。照明は暗め、エレベーターが開けばすぐの店内。俺は上がってくるエレベーターが、バーのフロアである7階で止まるのを確認した。扉が開くと同時に2人の大柄の男が、姿を現す。お出迎えの『いらっしゃいませ』を静かに言って、俺はペコリと頭を下げたが、これは失敗だった・・・声が小さ過ぎて聞えておらず、頭を下げたタイミングで彼の視界に入り、俺がウトウトしているように見えたようだ。鋭い眼つきのブランド男は俺に近づき、睨みつけながら・・・

 

『お前っ!今、寝とったやろ!』

 

 緊張状態に置かれた俺の鼓動は、徐々に加速し始める。必死で弁明するも、彼は疑いながら離れてくれない。このお店の常連である、もう一人の大柄の男が止めに入ってくれたので、なんとかその場は落ち着くのだった。

 ビクビクしながらもオーダーを伺ったり、お酒を運ぶたびに、俺は眼つきの鋭いブランド男に絡まれ続けた。そして用事もないのに『おい!お前、ちょっとこっち来い』と呼びつけられ、俺のプライベートに関する質問も色々された。

 俺は自分の話をするのが大好きである典型的B型男。海上自衛隊に在籍していた話から始まり、職歴や家族構成、双子である事や痔で入院していた話をベラベラと、嬉しそうに話した。最終的には俺の何を気に入ってくれたのか、名刺を5枚手渡し

 

『なにかあったらいつでも俺に言うてこい』

『何でもええ、面倒みたる』

 

そう言って、帰っていったのだ。それが彼との出会いであった。

 

その後、俺はショットバーを退職した。2週間ほど経った頃、彼の名刺に書いてあった電話番号のダイヤルを押す。彼は覚えていてくれた。そして早速、会って話を聞いてくれたのだ。場所はミナミ(心斎橋)

俺の話を聞いた後、飲食業にこだわらないのであれば、自分の会社に来ないかと誘ってくれた。その時、俺はまだ彼がどんな業種の会社を経営しているのか知らなかった。分かっているのは、20代後半にして富を手に入れ、ブランド品を身にまとって飲み歩ける時間をもっている男だと言う事だけである。名刺には【OWNER】と記載があるので経営者である事は理解できたが、名刺に記載されている【アルファベット表記の店名】や【委託、買取強化中】【BRAND CHANELHPRADAGUCCIFENDILOUISVUITTON etc・・・】の意味が全くわからなかった。

彼・・・社長は何も知らない俺に、優しく教えてくれた。そう、ブランド品のリサイクルショップだったのだ。

社長が20代前半で開業した当初、ミナミにブランド品のリサイクルショップは1件もなかった。先見の明があり、思い立ったが吉日で行動力もある。そんな社長はまた新しい事を考えていた。店舗を構え、商品を並べ、委託買取販売をしていたのだが、これからはインターネットで買い物をするのが主流になる事を先読みしていた。東京では既に存在したが、ミナミでは誰もやっていない。

ホームページを作り、商品のサイズや状態(中古品になるので、キズやシミの状態)を細かく記載し、写真も色々な角度から撮影したものを掲載し始めているところだった。

俺が社長に会った時、新しくYAHOOオークションへの出品を始めるタイミングでもあった。社長は俺にパソコンができるか確認したが、俺はパソコンなんて触った事もなかった。インターネットの意味さえも知らない。正直に答えると、覚える気があるかだけを俺に尋ねた。ブランド品やパソコンは知らない事だらけだけど、興味もやる気もある事を伝えて社長にアピールした。

社長はそんな俺を快く受け入れてくれたのだった。そのまま社長は俺を店舗に連れて行き、スタッフに紹介した。店長を務める社長の弟さん、同じ店舗内で別ジャンルのブランドリサイクルショップを営む社長の奥さん、アルバイトスタッフの超美人なお姉さんの3人がいた。

知らない事だらけの世界だったが、全てが新鮮で刺激だらけだった。孔明店長からの教えは、ここでも発揮される。ブランド品やパソコンの本を読みあさり、休日はウインドショッピングや家電量販店をまわって過ごした。

社長は教えてくれた。ブランド品を知っていたら女にモテるぞ・・・と。俺の仕事欲は更に燃え上がった。

パソコンは実家に1台あった。愚弟マサノリが大学生の時にアルバイトで稼いで購入したモノである。購入動機は不純で、エロゲーをしたいが為であった。そんな愚弟マサノリに使用許可を求めると、快くそのエロゲー専用パソコンをプレゼントしてくれた。やはり変わっている。

早速ネット環境を整え、帰宅後もお店のホームページをみながら商品の勉強できるようにした。とはいえ、当時はADSLの時代で現在の光の速度とは比べ物にならないくらい遅い。しかも、インターネットを繋いでいる間は電話が使えない。エロゲー専用パソコンもNECWindows98である。余談ではあるが、考えるとパソコンや通信の進化は恐ろしく早い。

しかし、できる事はいくらでもあった。パソコンを触った事がない俺は、文字を打つスピードが遅い。これを克服しなければ、仕事の効率は上がらないのだ。友人からもらったタイピングソフトの【北斗の拳】で練習していたが、ある程度からスピードが上がらなくなってきた。

決められた文字を限られた時間内で打ち込まなければならないタイピングソフトよりも、自分のスピードで自由に文字を打てるモノを探した。最初は好きな本をWordに打ち移していたが、あまり楽しくなかった。

何気なしに部屋をゴソゴソとあさっている時、痔で入院していた時の日記を発見する。運命の再会だった。その日記を元に、入院当時の事を思い出しながら、楽しんで文字を打ち始めた。ある程度出来上がった状態で、社長に読んでもらったのだが、予想以上の反応を示してくれる。

オモロイから早く続きを書いてこいと言って、絶賛してくれたのだ。俺はその気になり、調子に乗ってどんどん作品として仕上げていったのだった。その作品こそ本書の第一章【痔の地獄】である。文章を作成する上で参考にしたのは孔明店長から借りたことのある【毎日が冒険】だった。横書き、イラスト、文章のテンポ、面白い表現等、ベースは俺なりにパクッてみた。

顔の広い社長は面白がって、自分の奥さんや弟さん・友人・知人達へ次々と読ませていった。反応も良く、みんな面白いと笑ってくれたので、俺はどんどん調子に乗っていく。

とうとう、影響を受けた作品【毎日が冒険】の出版元である【サンクチュアリ出版】に原稿を送った。当時はお金を支払って、出版社から所見書を返送してくれるサービスがあったのだ。    返送されてきた内容は実に細かく、そして的確に弱点を貫いていた。評価してもらえた部分もありながら、厳しい事もたくさん書かれてある。俺は所見書に目を通しながら、自分自身の文章力のなさを実感するのと同時にチャンスも感じた。これだけ弱点が明確になれば、修正の余地はある。そして再びチャレンジできると確信した。

 

そして10年後の現在、再び俺は筆をとった。

大きな出来事が重なり、この作品を仕上げたい衝動に掻き立てられたのだ。

発端は20116月に社長が38歳の若さにしてこの世を去った事だった。俺にとっては母親以来の身近な人との別れだった。この作品を1番最初に読んでくれ、周りに広げてくれた社長。在職中も退職後も俺の事を気にかけてくれていた社長。俺は彼の事を忘れたくなかった。思い出もたくさんある。かけてくれた言葉もたくさんある。忘れる訳はないが、何か形に残るモノとして彼から学んだ事や生き様を記録したいと望んでいた。彼の奥さんの妹さんからも、依頼があった。それだけ社長は周囲の人間から愛され、そして大きな存在だったのである。

社長との別れから3年後20148月に俺は、双子の弟であるマサノリと2人で飲食店を開業する事になった。この事を起に、これまで俺がどれだけ多くの影響ある素晴らしい先輩方に出会い、そして開業までに至ったのかを記録したいと考え始める。これだけの条件が揃えば、作品に再び向き合う事になったのは偶然ではなく必然だった。

 

ここで社長の人柄を知る事ができる、あるエピソードを紹介させて頂こうと思う。

社長のブランドリサイクル店に在職中、先輩から仕事のお誘いがかかった。先輩は北新地で食堂を始めたのだが、スタッフが足りないと俺に声をかけてくれたのだ。現在の勤務事情を話し、週3回くらいで良ければお力にならせて下さいと答えた。勤務時間帯も違うし、それくらいであれば、昼の仕事に支障はでない。お世話になった先輩への義理も果たせる。そう考えて俺は、社長へは内緒で週3回のアルバイトを始めた。

このようなタイミングは重なるもので、キャバクラ時代のゴッド先輩からも、お誘いがあった。さすがにコレはまずいと考え、事情を説明してお断りした。しかし、ゴッド先輩は容赦なかった。昼の仕事は週6日、夜のバイトは週3日・・・夜はあと4日空いている。そのうち1日は昼も夜も空いているという点を指摘され、俺は逃げ道を失った。参考までにもう一度、ゴッド先輩の人間性を振り返って頂きたい。

(抜粋文)

年齢は俺の10歳上の男性。自分にも厳しいが、部下にも容赦はない。見込みのない人間と判断すれば、あっさり切捨てる冷酷な男である。

頭の回転も速く、人の考える先の先まで考えて動くので、一緒に仕事をしていても最初は指示された内容についていけない。

 

そんな彼から認められ、力を見込んでのお誘いとあって嬉しかったが、昼の仕事への支障が出ないかという不安もあった。でも、俺はやるしかなかった。お世話になった二人の先輩への義理、俺のやる気をかって採用してくれた社長への義理は、俺の性格上どれも避ける事ができなかった。どれを欠いても裏切り・不義理になってしまうのだ。

どの仕事も全力でやりながら3ヶ月が過ぎた頃、ひょんなことから社長にバレた。社長はミナミでも顔の広い男で、実は師匠とも繋がっていた。社長と同じく、師匠も顔の広い人間で、新地の食堂の先輩とも繋がっていた。

つまり、師匠は社長とも食堂の先輩とも繋がっており、俺が社長お店で勤務しながら、食堂のバイトにはいっている事も知っていたが、社長に内緒でバイトしている事はしらない。俺は師匠が社長と繋がっている事も知らない。そしてタイミング良く、師匠はミナミの街で社長と会い、その時に俺の話がでたのであった。

前置きが長くなったが、この後の社長の言動は彼の寛大な人柄を現している。事実を知った社長であるが、とても楽しそうな笑顔で俺に話しかけてきてくれた。

 

社長『シナノ君、ええコト教えたろか?』

俺  『えっ?何ですか?』

社長『・・・お前、夜何してんねん?』

 

俺は悟った。社長の顔の広さは知っていいたし、内緒にしていたバイトがバレたのだと。師匠と繋がっていたのは予想外だった。俺はスグに謝罪し、食堂のバイトを辞めると伝えた。すると社長は、昼の仕事もちゃんとできているし、今後も支障がでなければ続けてもいいと言ってくれた。お世話になった先輩からの頼みを、断れなかったのだろうとも言ってくれた。社長は俺の性格も理解してくれていたのだ。社長自身も人との繋がりを大切にし、不義理を嫌う人だった。

俺がとった行動は、食堂の先輩に対して義理立てしているが、社長に対しては不義理をしている。それにも関わらず、寛大な心で俺自身を受け入れてくれ、許してくれたのだ。仕事をクビにされても当然なのに。最後まで聞かれる事はなかったが、もう一つのバイトの件も知っていたのだと思う。

俺は食堂の先輩に事情を話し、バイトを辞める事にした。食堂の先輩も人格者で、俺を責めず、社長と俺に対して悪い事をしたと言って、彼自身が社長に謝罪に行くとまで言ってくれた。俺は自分自身の責任なので、何も言わないで欲しいとお願いした。

ところが翌日の夜、社長は奥さんとバイト先の食堂まで、食事に来てくれたのだ。食堂の先輩も俺も驚いたが、食堂の先輩はすかさず謝罪を入れた。すると社長は逆にお礼を言った。ブランドショップの仕事を頑張ってくれているのも、その先輩の教育が良かったからだと言って。器の小さい俺にとっては異次元の会話だった。

社長の奥さんも寛大な方で、後日俺に話してくれた。飲食店で働いている方が活き活きしているし、その業界の方が向いていると。その後もしばらく社長の元でお世話になっていたのだが、退職して東京の飲食店で働く事になる。それも社長と奥さんが後押ししてくれたのだ。社長自身も下積み時代は東京で過ごしていた経験があり、学ぶモノがたくさんあったと経験談をしてくれた。

東京へ出発するまでミナミの色々な飲食店へ連れていってくれ、行くお店ごとに『こいつは東京へ行って、大きくなって帰ってくるんや』と俺の事を自慢してくれたのだ。時には弟や妹も呼べと言って、一緒に食事に連れていってくれて、とても可愛がって頂いた。出発前には餞別だと金一封も包んでくれた。東京で勤めていたお店にも遊びに来てくれた。社長が下積み時代にお世話になった方もご紹介頂き、東京ではその方にも可愛がって頂いた。不義理をした俺は、一生返せないくらいの恩を受けたのだ。俺が知る限り、社長は誰にでもそんな事をしていない。

 義理人情・礼儀に厳しい社長は、お酒が入るとデキていない人に対して狂暴になる。そして一緒に呑んでいる相手や、お店のスタッフにガンガンお酒を進める。ある男は灰皿で頭をしばかれ、流血しながら泣いて謝っていた。ある女は呑まされ過ぎて、目も当てられない状態になってしまう事も多々あった。

お酒が入ると狂暴化する社長だが、いくら酔っていても俺には優しかった。

俺はそんな社長に恩を受け、後押しまでしてもらいながら次のステージ東京へと進んでいく。