ナルシス2世のブログ

エッセイ仕立てに構成。
第一章では高校生時代の入院記を
第二章では高校を卒業してからの職歴と、その中で出会った素晴らしい先輩方とのご縁や学び、エッセイを書く事になった経緯を記録した内容。

海亀の産卵?最初の屈辱(9/30)

見つけてもらった病院へ、愛車の原付バイク『ZX(艶消しブラック)』で駆けつけた。

受付を済ませ、待合のベンチに腰掛けるが、お尻の痛みから異様な座り方。不安と緊張と痛みで顔を引き攣らせながら考える・・・この変な脈打つイボは切ってもらったら治る、たいした事ではないと・・・でも違った。

診察後、医者が俺に年齢を尋ねて放った一言はあまりにも衝撃的だった。

 

『可哀想に、君・・痔や。』

 

可哀想?痔?・・・衝撃のあまり俺は言葉を失う。この時、俺は俺の中で痔になった。

無理に太い便を出した際、肛門が傷付けられた事が原因だと言う。説明なんて頭に入らない。

俺の頭の中は

『可哀想ってなんや?えっ?ってか俺、痔?』

『痔ってオッサンがなる病気ちゃうんか!』

『俺、18歳やで・・・』

『痔って不潔な奴がなるんちゃうんか?』

『俺、不潔なん?』

『なんでクソして痔になんねん!』

『高校生で痔ってありえるんか?』

『治るんか?』

『学校で笑いものになるんか俺?』

『えっ?』

『?!ん?・・・待って!痔?????』

 

パニック状態で何も言えなくなっている俺を尻目に医者は冷静に話しを続けた。(診察中なので当たり前です。)

 

医者『君、今日は電車できたんか?』

俺 『いえ・・原チャリです・・』

医者『車で家族の方に迎えにきてもらいなさい』

俺 『・・・はい・・』(えっ、なんで?)

医者『腫れが酷いので簡単な手術をします。』

俺 『えっ?・・』(治るんか!)

医者『一時的な処置やけど、痛みは和らぐから。』

俺 『お願いします』(助かった)

医者『処置後バイク乗って帰るのは辛いからね。』

俺 『はい、後で電話しときます』(痛いんか?)

医者『そしたら、そこに横になってパンツずらして』

俺 『はい・・・』(今ここで?恥ずかしいやんけ!)

 

最初の屈辱だった・・・・ベッドに横になる→パンツを半分ずらす→両手で両膝を抱える・・・

『レントゲン写真に写しだされる胎児』の様な格好ようになった。


その恥ずかしいポーズでベッドにいる俺の周りには看護婦達が5人ほど立っている。残念ながら、看護婦達はほぼ全員若かった。更に恥ずかしさは増す。

恥ずかしさはピークを超え、屈辱となってゆく。しかし、この痛みから開放されるなら、少しの間くらいの屈辱は我慢できる。できないようであれば日本男児として情けない。そう俺は自分自身に言い聞かせた。

ところが、手術中の看護婦達の会話がさらなる悲劇へと俺を誘う。少し熱のあるような痛みと共に、患部へメスが入ったのを感じた直後である。

 

『うぁ~海亀の産卵みたぁ~い。』

『うぁ~ホンマやぁ。』

 

少し笑いの入った感じの会話が耳に入ってくるではないか。

・・・えっ何? 何で笑った? 何で海亀の産卵?

 

俺が受けた手術というのは患部、つまりイボを切開し、中に溜まった血液を絞り出すといった内容であった。

溜まっていた血液は習性によって固まろうと集まり、たくさんの血の粒を創りだしていた。その血液の粒を絞り出される様が、海亀の産卵に見えたようだ。

だからといって、言葉に出したらアカンのちゃうか?・・・・・俺はそう思うぞ。

 

イボを切開するだけなので、麻酔はされていない。意識のハッキリしている俺は、海亀産卵会話を明確に聴き取り、更なる屈辱に耐えざるをえなかった。今となっては笑い話だが、当時の俺にとってはたまったものではない。これは生き地獄である。

 

しかしながら、その場ですぐに切開しなくてはならないほど腫れていた原因は、自分自身にあった。後に痔の本を読んで知った事だが、痔にとって『患部を冷やす事』と『アルコールの摂取』は致命的だったのだ。

イボイボウンコ野郎を排出後、その夜に行われた応援団の打ち上げで『冷たい地べたに座り、お尻を冷やした事』『多量にアルコールを摂取した事』が致命傷となっていたのだった。

痔との出会い(9/29~30)

その日の晩、応援団の一員だった俺は団員同士の打ち上げに参加した。場所は地元の大きな公園。季節は9月末、夜は肌寒かった。

若かった俺達は地べたや、石のベンチに座り宴を始めた。その寒さゆえ体を温めようと自分の酒の飲める限度を知らなかった俺は、調子に乗って飲んでしまった。(未成年者の飲酒は禁止されています)

この冷えた地べたに座りながら多量に酒を飲んだ行為は、後に致命傷となり俺を襲う。酔いながらも異様なお尻の痛みを感じた俺は一足先に帰宅した。布団に入ると体が温まったせいか痛みもおさまり、ぐっすりと眠りにつく事ができた。

朝方になり、お尻からの異様な痛みで目を覚ます。この日は日曜に行われた体育祭の振替休日。学校へは行かなくていいので、ゆっくり夕方まで眠るつもりだった。だが、その痛みは完全に俺の体を起こす。

テレビゲームをしながら痛みを紛らわせていたが、夕方になってもジンジンと痛みは続いた。この痛みの継続に焦った俺は、鏡でお尻の穴を覗き込む。

初めて目にするソレは俺に未知の恐怖を与えた。見えるはずのお尻の穴は、赤黒く艶のある丸いモノで隠れていた。そして奴は堂々と脈をうち、俺に痛みを与え続けていたのだ。

その痛みの根源、奴の名は『イボ痔』

そうとは知らない俺は、博識なバアちゃんに症状を話し、奴の正体と治療法を尋ねた。俺の説明だけでは情報不足だったらしく、とりあえず患部を診てくれると言う。

しかし、いくら血の繋がった家族とはいえ、思春期ピークにして18歳日本男児の俺とって、お尻の穴を人に見られる事は死に匹敵する。

それゆえ有難い診察を断り、肛門科のある病院を探してもらう事にした。

華の18歳と彼(9/29)

 事の起こりは1996年(平成8年)929日、我が母校である大阪府立長野高等学校の体育祭までさかのぼる。

 

当時、俺は高校3年生にして華の18歳。小さな頃から体を動かす事が大好きで、特に走るスピードには自信があった。そんな俺にとって、体育祭の短距離走はヒーローになれる華型種目だ。トップでゴールラインを駆け抜ける快感は、一度味わうと癖になる。

湧起こる歓声、優越感、女子達からの熱い眼差し(思い込み)は最高だ。

そう思っていたのだが、意外に人気はなく、短距離走者として希望を出すも即決。高校3年生にもなれば、小・中学校ほど学校行事に熱くならないようだ。俺はしらけるどころか、大マジだった。

午前中に行われた予選は、なんなく通過する。そんな俺ではあるが便秘症という悩みを抱えていた。一見何の繋がりもなさそうな『短距離走』と『便秘症』だが、その後間もなく繋がっていくのだった。

何故、俺が便秘症になったのか。実家にあったトイレは、畳1枚程の大きさ。その圧迫感のある空間は苦手だった。それだけの事で、便意がきても我慢する癖をつけてしまっていた。結果、便意を感じにくくなり、とうとう便秘症になってしまったのである。いきなり汚い話しになったので本題へと話を進める。

 

昼休みに弁当を食べ終えた俺は、3週間ぶりの便意を感じ、トイレへと足を運んだ。普段から便秘症を抱えている俺にとって、3週間くらいの便秘期間は特別な事ではなかった。だが、便意とは裏腹にきばっても力を抜いてもガスすら出ない。

休み時間中の学校のトイレや廊下というものは、とても騒がしい。生徒達の話し声や物音で、神経質な俺は気が散って、排便に集中できなかった。いったん休戦し、静かな別館のトイレへ場所を変えて再戦を試みる事にした。和式の便器に再度またがり、今度こそはと全力できばった。

『プチッ』という小さな音とともに激痛が走り、彼(便)は俺の肛門から勢い良く飛び出した。

違和感を覚えた俺は、彼との対面を図る。なんと彼は日常見かける形ではなかったのだ。鳥肌の立つようなおぞましい形。それは太く短く、美しい程に艶があり、周囲にはイボイボがついていたのだ。

『何じゃ、こりゃ!』

後に医者から聞いた話によると、その形は腸の内側そのものだったのだ。俺は『バリュウム』の代わりに『大便』を使って、『胃の形』の代わりに『腸の形』をリアルに採った事になる。当時は気付きもしなかったが、これはまさに人体の不思議に出会った瞬間であったのだ。

 

恐怖に陥りすぐさま流そうとしたが、少しの興味が恐怖に勝ってしまった。俺はその時、トイレットペーパーを人差し指に巻きつけ、そして突いたのだ!彼は硬く、少々の力では変形すらしなかった。しばらく観察してみるが、形が変で硬いという事くらいしか理解できなかった。名残惜しかったが、静かにレバーを押して流れていく彼を見送った。

 

午後からは、いよいよ短距離走競技の決勝戦。俺は気合十分、興奮気味にスタートラインに立った。合図と共に予選を勝ち抜いた選手達といっせいに走り出す。

ももを高くあげ、地を蹴り、全力疾走するが、みるみるうちに他の選手達の後ろ姿が遠くなっていくではないか。股に力がはいらない・・・例えるなら、必死に走っているのにも関わらず、少しずつしか進めないという【夢の中でゾンビとか怖いものに追っかけられて逃げているのに、全然すすめない感じ】と言えば分かってもらえるだろうか。

結果は散々なもので、圧倒的な差をつけられての最下位。ありえなかった。小学4年生から飛躍的に伸びた身長と共に50M走のタイムが突如速くなった俺は、その頃からほぼ負け知らずだった。クラスに必ず1人はいる、運動会や体育祭などのリレー競技で逆転勝利を導いてくれるヒーローなみに頼もしい奴。小学4年生から中学卒業まで俺はそんな頼もしい奴の1人だった。

ところが、その圧倒的な差をつけられての最下位という結果は、俺の『ランナー』としての『ヒーロー』としてのプライドはズタズタに引き裂いてくれた。原因が全く分からない。何故、この俺が・・・ヒーローになるはずの俺が・・・これは夢か?・・・

スタートしてからゴールラインを駆け抜けるまで、股に力が入らず全力で走れていなかった。その原因は1つしか思いつかない。昼休みに俺のお尻の穴から無理やり飛び出した彼・・・『イボイボウンコ野郎』のせいだ!

アイツのせいで俺のお尻は傷つき、痛みを抑える為にアドレナリンを出し、俺の股の感覚まで麻痺させていたのだ。

便秘症から発生した『イボイボウンコ野郎』は見事に『短距離走』と『便秘症』を繋げてくれた。この【イボイボウンコ野郎の排出】こそが痔になる基盤となっていた事を俺は知る由もなかった。