ナルシス2世のブログ

エッセイ仕立てに構成。
第一章では高校生時代の入院記を
第二章では高校を卒業してからの職歴と、その中で出会った素晴らしい先輩方とのご縁や学び、エッセイを書く事になった経緯を記録した内容。

坐薬(10/1~4)

翌日から手術の前日まで、患部消毒の為に毎日通院した。消毒してもらう時は例の『レントゲン写真に写しだされる胎児』ポーズ。日本男児の俺にとって、他人にお尻を見せなければならない日々は辛かった。(死に匹敵するからね。)

でも、それを超える辛さが存在した。大便時に訪れる激痛である。便をする度に天をも貫く激痛・出血があり、便意を感じると同時に恐怖も感じた。

でも逃げてはいけない。毎日排出しなければ、便は硬くなる。硬くなった便は排出時、更なる激痛を俺に与えるだろう。便秘症の俺とって、毎日便意を感じ、柔らかい便を排出できる事を有り難いと思わなければならないのだ。

日ごとに回復し、抜糸を終えてから痛みや出血もなく健康な人のように便ができる様になっていった。実は薬の陰なる活躍があったからだったのだ。三食毎に痛み止め、便を軟らかくする薬、便を出やすくする薬を飲み、朝の登校前と夜の入浴後に『ざやく』を挿して痛みを緩和しながら過ごしていた。

『ざやく』は痔になり、生まれて初めて経験する事になった薬であった。何と言ってもお尻の穴に挿入するのだから、かなり抵抗があった。痛いし、挿入後から『ざやく』が溶けるまでは、お尻の穴に残っているので、感触は例え様のない気持ち悪さである。

しかし人間の慣れというのは恐ろしいもので、段々と苦には思わなくなってくるのだ。その先は、あえて文章にはしないので、ご想像にお任せする。

 

103日。面接当日、そんな『ざやく』は大活躍をみせる。面接は通常、座った状態で行われる。が、俺にとってはその座っている時間には限界があった。俺が使用していた『ざやく』には痛み止めの効果があったので、直前にトイレで挿入してから面接に挑んだ。

お陰で痛みを感じるも事なく無事終了。後に見事採用となる。まさに、『ざやく』の功績と言わずして何の功績と言おう。

ヤツがいなければ、面接中に俺の顔は痛みによって引きつり、言われる事、聞かれる事などは全く聞く耳持たずであった。そんな悲惨な状況下ではあったが、俺は夢への第一歩を踏み出した。

決断(9/30)

『車で家族の方に迎えにきてもらいなさい』と医者に言われた理由がはっきりと理解できた。痛みでいつものように歩けず、座っても痛い。当然である。イボではあるが皮膚の一部を切開され、絞られ(海亀の産卵)、縫われたのだから。バイクなんかで帰ろうものなら、俺のお尻は座っているシートにくる振動の餌食になる。

もう1つ迎えにきてもらう事には訳があった。症状を家族に伝え、今後の治療についての方向性を決めなければならなかったのだ。

 

薬の受取りと会計を待つ間、医者に言われた通り家に電話をかけた。バアちゃんは運転免許を持っていないので、ミサヨおばちゃん(近所に住むバアちゃんの息子の嫁さん)と病院へ迎えにきてくれた。

バアちゃん、ミサヨおばちゃんと共に医者から俺の症状について説明を受けた後、俺は決断を迫られる。

『薬による内科的治療』もしくは『手術による外科的治療』のどちらかを。医者が言うには手術をすれば完治するとの事。

診察で医者から痔になった原因とメカニズムを聞いていたにも関わらず、【痔と宣告されたショック】【海亀の産卵会話の屈辱】【手術後の患部の痛み】とで説明が頭に入っていない俺にとって、痔というモノは『不潔なオッサンがなる恥ずべき病気』のままだった。

痔を勘違いしたままの俺は当然、何の迷いもなく完治するべく外科的治療の道を選ぶ。

 

手術の日程であるが930日現在、俺は高校三年生。人生の岐路においても大切な時期であった。既に進路は【憧れの海上自衛官】に決めていた。筆記試験は済んでおり、3日後(103日)に面接が控えている状況である。病院と俺の都合で、手術は6日後にしてもらう事となった。

痔=不潔なオッサン?

話しは戻り、恥ずかしく屈辱的だった手術後。

【痔の宣告】から【恥ずかしいポーズ】と【海亀産卵会話】で落ち込んでいる俺に医者は淡々と説明してくれた。

 

イボ痔というモノは、皮膚の内側で切れた毛細血管から出血した血液が、行き所をなくして皮膚の内側に溜まり、皮膚が腫れあがった事によりできるモノです。切れた毛細血管が新たに細胞を創り出してイボができるんやね。それがお尻にできてイボ痔。君のお尻にあるやつな。

 

俺には医者が微笑しているように見えた。なにせ俺にとって【痔=不潔なオッサン】なのだ。高校生のガキが真面目な顔でお尻にイボ痔をつけ、診察室にやってきた。その後、お尻の穴を丸出しにしながら海亀の産卵。更には痛みを堪え泣きそうな顔をしている。・・・当時の俺が医者として俺を診ていたら、笑いをこらえるので必死になる。

痔の宣告を受けて混乱していたので真相は明らかではないが、社会人になった今考えてみれば医者が笑っているはずはない・・・・・今の俺はそう思うぞ。